佐藤喜八郎 (8代)
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8代 佐藤 喜八郎(さとう きはちろう、1861年4月4日(文久元年2月25日[1]) - 1920年(大正9年)3月6日[2])は明治から大正時代の政治家。大地主[1]。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]松江城下白潟本町(現島根県松江市白潟本町)出身[1]。佐藤喜八郎の長男として生まれ、先代愛山の養子となり1914年(大正3年)3月、家督を相続する[1]。和漢学を修めたほか日蓮宗に帰依して仏学を研究した[1]。
1873年(明治6年)以降、島根県第六区戸長、松江市会議員、同市所得税調査委員、同市名誉参事会員、臨時世界博覧会委員、松江市会議長を歴任した[1]。ほか、出雲農会幹事長、同仏教会名誉顧問、教育会育英会各評議員を務めた[1]。
1897年(明治30年)9月には島根県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[3]から1900年(明治33年)7月14日まで務めた[2][4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。