佐藤博正
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道札幌市 |
生年月日 | 1955年8月10日(69歳) |
身長 体重 |
178 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1973年 ドラフト1位 |
初出場 | 1976年4月10日 |
最終出場 | 1976年5月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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佐藤 博正(さとう ひろまさ、1955年8月10日 - )は、北海道札幌市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]札幌市立北辰中学校時代から本格派投手として知られ、道内の複数の強豪校から誘われたが、中学の先輩である中島憲二が監督を務める札幌商業高校に進む[2]。同高では1年秋からエースとなり、3年次の1973年の春季北海道大会で準優勝[2]。同年の夏の甲子園南北海道予選では、決勝で夕張南高を完封し甲子園出場を決める[1]。この予選では7試合62イニングで93奪三振を記録したが、これは夏の地方大会としては近藤重雄(1960年、110奪三振)、沢村栄治(1934年、97奪三振)に次ぐ記録であった。夏の選手権では、1回戦で京都商の小竹重行(同大-日本新薬)と投げ合い、延長11回0-1で惜敗[3]。アンダースローで、コーナーにキレのあるストレート、小さなカーブをうまく投げ分けた[2]。
1973年ドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受け入団[1]。1976年4月10日の対阪急戦で一軍初登板を果たして1回2/3を無失点に抑えたが、これが一軍では唯一の登板となった。その後は7試合に偵察要員として先発メンバーに名を連ねた。ゲーム中、ダッグアウトでは「ヤジ将軍」を務めていた。1979年4月17日に、ウエスタン・リーグの阪神タイガース戦でノーヒット・ノーランを記録した。1980年限りで引退[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1976 | ロッテ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.60 |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.60 |
記録
[編集]背番号
[編集]- 23 (1974年)
- 35 (1975年 - 1979年)
- 66 (1980年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 佐藤博正 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)