佐藤助九郎 (11代)
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11代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1870年9月22日(明治3年8月27日[1]) - 1931年(昭和6年)10月30日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・北村、旧名・尭春。
経歴
[編集]越中国新川郡、のちの富山県上新川郡大森村(中新川郡大森村、雄山町を経て現立山町)の北村家に生まれ、10代佐藤助九郎の養子となり前名尭春を改め襲名する[3]。1903年(明治36年)東砺波郡柳瀬村長に就任[2][3]。ほか、東砺波郡会議員、同議長などを歴任する[2]。さらに戸出貯金銀行、中越銀行各取締役、富山県農工銀行、高岡共立銀行各監査役などを務める[2]。
1909年(明治42年)から片貝川、小牧、猪苗代、祖山などの水力発電所工事に関与[3]。1911年(明治44年)には富山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1914年(大正3年)8月20日[5]まで在任した[2]。1931年(昭和6年)佐藤組を株式会社佐藤工業に改組した[3]。また茶道薮内流に親しみ、柳汀の号で俳句も能くした[3]。
親族
[編集]- 前妻・まつい - 先代佐藤助九郎の長女[6]
- 後妻・幾世 - 陶芸研究家・原文次郎(1870-1931)の妹[7][8]
- 長女 多美(3代高広次平の妻)[9]
- 二男 佐藤助九郎 (12代)(旧名・健太郎、貴族院多額納税者議員)[10]
- 二女 登美(藤波収の妻)[9]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 9版』人事興信所、1931年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 竹内理三ほか 編纂『富山県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典16、角川書店、1992年。ISBN 4040021606。
- 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。