佐藤佐
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佐藤 佐(さとう たすく、1857年3月6日〈安政4年2月11日〉 - 1919年〈大正8年〉3月3日)は、明治期の医師、医学者、順天堂医院副院長。大日本薬局方調査會委員。
略歴
[編集]佐倉藩士井上信利の三男井上虎三として生まれ、11歳で藩医佐藤尚中に入塾する。大学東校に入り、1878年夏、脚気の再発で足腰が立たないまでの症状に陥ったが翌年から復学、1881年3月、東京大学医学部を卒業。卒業が確定となった事で佐藤尚中の三女:楽との婚姻を結び、佐藤家へ養嗣子となる。
同期は三浦守治、高橋順太郎、中濱東一郎、森林太郎、賀古鶴所であった。
明治15年(1882年)2月4日、佐藤佐と同じく明治14年度派遣留学生、三浦守治、榊俶、高橋順太郎とフランス客船メンザリー号で横浜港を出発、3月23日にベルリンに到着、ドイツ及びオーストリアに私費留学、1886年(明治19年)に帰朝し、順天堂医院の内科医療に従事する。
明治31年(1898年)、宮内省に出仕して侍医となった[1]。
親族
[編集]- 養祖父:佐藤泰然
- 養父:佐藤尚中 - 順天堂医院の初代院長
- 義兄:佐藤進 - 日本陸軍軍医、順天堂医院院長
- 妻:佐藤楽 - 養父、佐藤尚中の三女
- 長男:亨 - 妻・須賀は藤井較一の三女[2]
- 長女:とよ
- 次男:元
- 三男:要
- 次女:とく
- 三女:やす
- 四男:勉
- 五男:孝
脚注
[編集]- ^ 佐藤佐 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)] - 人事興信録データベース
- ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)さ10頁