佐藤与助
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佐藤 与助(與助)(さとう よすけ、1890年11月1日[1] - 1971年)は、日本の資源工学者。
専門は採炭学、及び日本の炭鉱・炭田に関する史的研究。
経歴・人物
[編集]三宅長市の三男として福岡市に生まれ、炭鉱経営者で篤志家であった佐藤慶太郎の養子となる[1]。1910年福岡県立中学修猷館[2]、1913年7月第五高等学校工科[3]を経て、1916年7月九州帝国大学工学部採炭学科を卒業[4][1]。
卒業後、九州帝国大学工学部講師となり、1918年9月採炭学研究のため欧米に留学、1920年6月に帰国後、明治専門学校(現・九州工業大学)の教授に就任し、鉱山学科長、および採炭学科長を務めた。その後、東北帝国大学工学部講師を経て、1947年9月同教授に就任、1948年8月同鉱山学科主任教授となる[1]。1954年停年により退官[5]。
父・慶太郎が設立した、日本生活協会長、日本生活学院長、佐藤新興生活館(現・山の上ホテル)長、佐藤育英財団理事長なども務めた[1]。