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佐藤三郎 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 三郎
生誕 1885年6月24日
死没 (1938-08-19) 1938年8月19日(53歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1907年 - 1938年
最終階級 海軍中将
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佐藤 三郎(さとう さぶろう、1885年明治18年)6月24日 - 1938年昭和13年)8月19日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

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福島県出身。旧二本松藩士・佐藤健蔵の三男として生まれる。1906年11月、海軍兵学校34期)を次席で卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍大学校で乙種学生、同専修学生(航海術優等)として学び、「隅田」乗組、「矢矧分隊長、「秋津洲」航海長、第3艦隊参謀練習艦隊参謀などを経て、1918年11月、海軍大学校(甲種16期)を首席で卒業した。

以後、アメリカ駐在、アメリカ大使館付武官補佐官横須賀航空隊付、軍令部第1班第1課参謀、兼参謀本部員、米国出張、霞ヶ浦航空隊副長、海軍省軍務局第1課長、欧州出張(ロンドン海軍軍縮会議随員)、「八雲艦長横須賀鎮守府付などを歴任し、1931年12月、海軍少将に進級。

霞ヶ浦航空隊司令海軍航空本部技術部長、兼同本部総務部長、第1航空戦隊司令官などを経て、1936年12月に海軍中将となる。その後、海軍大学校校長、海軍軍令部出仕を歴任するが、1938年8月に卒去。墓所は谷中霊園

親族

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妻は横山正恭(機関少将)の娘で、百武源吾は義兄となる[1]

出典

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  1. ^ 『異色の提督 百武源吾』160頁

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 石井稔編著『異色の提督 百武源吾』異色の提督百武源吾刊行会、1979年。