佐川玄彝
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佐川 玄彝(さがわ げんい、1866年5月18日(慶応2年4月4日) - 1944年(昭和19年)5月13日)は、日本の僧侶。曹洞宗總持寺独住第15世貫首、永平寺第72世貫首。道号は訓山玄彝。
来歴
[編集]1866年(慶応2年)周防国大島郡(後の山口県大島郡蒲野村、現・周防大島町)生まれ。1882年3月3日屋代村の龍心寺大村玄英について得度。1891年曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業(卒業証書授与は1892年春)。同年、曹洞宗管長より山形県米沢市の曹洞宗中学林の教授に任命される。1892年師匠の病気のため辞職し看病に務める。1893年2月、龍心寺住職。1894年山口県曹洞宗中学林の教授。1913年曹洞宗第四中学林の第3代学林長に就任。教え子に、衛藤即応、永久俊雄、大久保道舟、杉岡規道、宮崎文輝、岡本素光、在校生には田辺哲涯、水野弘元らがいた。
1937年曹洞宗師家。1941年曹洞宗大教師、總持寺西堂。1943年総持寺独住第15世貫首、1944年永平寺72世貫首に就任。
1944年5月13日山口県防府市の多々良学園長の田中俊英宅にて遷化、78歳[1]。
出典
[編集]外部リンク
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