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東園佐和子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐和子女王から転送)
東園 佐和子
(佐和子女王)
東園家
1920年代
続柄 北白川宮成久王第2王女子

全名 東園 佐和子(ひがしぞの さわこ)
身位 女王 → (皇籍離脱
敬称 殿下 → (皇籍離脱)
お印 [1]
出生 1913年10月21日
日本の旗 日本東京府東京市芝区高輪南町
(現:東京都港区高輪)北白川宮邸
死去 (2001-07-01) 2001年7月1日(87歳没)
日本の旗 日本・東京都目黒区
配偶者 東園基文
子女 東園基政
岩瀬陽子
東園基宏
東園基治
川崎里子
父親 北白川宮成久王
母親 成久王妃房子内親王
栄典 勲二等宝冠章
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姉の美年子女王(右)と

東園 佐和子(ひがしぞの さわこ、1913年大正2年〉10月21日 - 2001年平成13年〉7月1日)は、日本の元皇族北白川宮成久王同妃房子内親王の第2王女子。東園基文子爵の妻。旧名は、佐和子女王(さわこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。兄に北白川宮永久王、姉に立花美年子(美年子女王)、妹に徳川多恵子(多恵子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。

人物

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1913年(大正2年)10月21日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第2王女子として生まれた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。1933年昭和8年)に成年を迎えるまで、北白川宮家別当石川漣平による皇族保育を受けていた[2]1934年(昭和9年)12月17日付で勲二等宝冠章を受章[3]。その後、東園基文子爵のもとに降嫁した。2001年平成13年)7月1日、呼吸不全のため、東京都内の自宅にて逝去した[4]。87歳没[4]。過去には、学習院女子部の同窓会常磐会」の会長を亡くなる直前まで務めていた。

栄典

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血縁

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ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 【ボンボニエールの物語vol.17】ひな祭りとボンボニエールの物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2020年4月1日). 2022年12月13日閲覧。
  2. ^ 『官報』第2049号、昭和8年10月28日(NDLJP:2958521/3
  3. ^ a b 『官報』第2390号、昭和9年12月18日(NDLJP:2958866/6
  4. ^ a b 東園佐和子さん死去/明治天皇の孫”. 四国新聞社 (2001年7月2日). 2022年12月19日閲覧。
  5. ^ 『官報』第849号、「叙任及辞令」1929年10月28日。p.672

関連項目

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ウィキメディア・コモンズには、東園佐和子に関するカテゴリがあります。