東園佐和子
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(佐和子女王から転送)
東園 佐和子 (佐和子女王) | |
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東園家 | |
1920年代 | |
続柄 | 北白川宮成久王第2王女子 |
全名 | 東園 佐和子(ひがしぞの さわこ) |
身位 | 女王 → (皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 → (皇籍離脱) |
お印 | 桃[1] |
出生 |
1913年10月21日 日本・東京府東京市芝区高輪南町 (現:東京都港区高輪)北白川宮邸 |
死去 |
2001年7月1日(87歳没) 日本・東京都目黒区 |
配偶者 | 東園基文 |
子女 |
東園基政 岩瀬陽子 東園基宏 東園基治 川崎里子 |
父親 | 北白川宮成久王 |
母親 | 成久王妃房子内親王 |
栄典 |
勲二等宝冠章 |
東園 佐和子(ひがしぞの さわこ、1913年〈大正2年〉10月21日 - 2001年〈平成13年〉7月1日)は、日本の元皇族。北白川宮成久王と同妃房子内親王の第2王女子。東園基文子爵の妻。旧名は、佐和子女王(さわこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。兄に北白川宮永久王、姉に立花美年子(美年子女王)、妹に徳川多恵子(多恵子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。
人物
[編集]1913年(大正2年)10月21日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第2王女子として生まれた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。1933年(昭和8年)に成年を迎えるまで、北白川宮家別当石川漣平による皇族保育を受けていた[2]。1934年(昭和9年)12月17日付で勲二等宝冠章を受章[3]。その後、東園基文子爵のもとに降嫁した。2001年(平成13年)7月1日、呼吸不全のため、東京都内の自宅にて逝去した[4]。87歳没[4]。過去には、学習院女子部の同窓会「常磐会」の会長を亡くなる直前まで務めていた。
栄典
[編集]血縁
[編集]- 父母:北白川宮成久王 - 成久王妃房子内親王
- 兄弟:永久王 - 立花美年子 - 東園佐和子 - 徳川多恵子
- 夫:東園基文
- 子:基政(学校法人学習院常務理事)- 岩瀬陽子(三越常務・岩瀬敬一朗の妻) - 基宏(ハウステンボス社長) - 基治(ワイズセラピューティクスCOO) - 川崎里子(川崎電工社長・川崎文一郎の妻)
ギャラリー
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結婚式。1935年
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東園佐和子のお雛人形(2009年3月2日撮影)
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東園佐和子のお雛人形(2009年3月2日撮影)
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東園佐和子のお雛人形(2009年3月2日撮影)
脚注
[編集]関連項目
[編集]ウィキメディア・コモンズには、東園佐和子に関するカテゴリがあります。