佐分利成忠
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時代 | 安土桃山時代-江戸時代初期 |
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生誕 | 天正6年(1578年)[1] |
死没 | 寛永15年(1638年)[1] |
別名 | 九之丞[1] |
氏族 | 佐分利氏 |
兄弟 | 成忠、重隆[1] |
子 | 團右衛門、五郎左衛門、水野三郎右衛門、成次、成興、女子(村上伊織室)[1] |
佐分利 成忠(さぶり なりただ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
経歴・人物
[編集]佐分利氏は若狭国大飯郡佐文郷(のち佐分利村)を本貫とする氏族[2]。
弟の重隆は佐分利流槍術の始祖[3]。成忠もまた槍を能くした。関ヶ原の戦いでは、古田重勝に従い津城籠城戦で奮戦した[3]。のち姫路藩主池田輝政に兄弟で仕官した[3]。
島原の乱では四男成次・五男成興らを率い奮戦するものの、本丸付近にて討死した。のち戦功により佐分利家は1000石を加増された。