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佐伯顕

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佐伯 顕

佐伯 顕(さえき あきら、1893年明治26年)3月15日[1] - 1944年昭和19年)5月8日)は、朝鮮総督府官僚。

経歴

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広島県出身。1916年大正5年)、中央大学法律科在学中に高等文官試験に合格した[2]警視庁警部、刑事課鑑識課長、警視を歴任し、1921年(大正10年)、樺太庁地方課長となり、福井県警察部保安課長・工場課長を経て、1923年(大正12年)に総督府警察官講習所教授・警務局事務官として朝鮮に渡った[3]。朝鮮では忠清北道警察部長、忠清南道警察部長、咸鏡南道警察部長を歴任し、1929年(昭和4年)に欧米を視察した[3]。帰国後、警察官講習所長、平安北道警察部長、同内務部長、平安南道警察部長、京畿道警察部長、同内務部長を経て、1937年(昭和12年)に京城府尹に就任[2]。翌年まで務めた[2]

1940年(昭和15年)6月24日、京城府尹贈収賄事件で京城地方院から懲役10月、毛皮及び1323円36銭追徴の実刑判決を受ける[4]。これにより従四位返上を命じられ[5]勲四等及び昭和六年乃至九年事変従軍記章大礼記念章(昭和)を褫奪された[6]

1944年昭和19年)5月8日急性膵炎のため東京都杉並区大沼町の自宅で死去、55歳[7][8]

脚注

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  1. ^ 輓近大日本拓殖史 1934, p. 478.
  2. ^ a b c 日本官界名鑑 1938.
  3. ^ a b 朝鮮人事興信録 1935, p. 199.
  4. ^ 京城府尹贈収賄事件判決」(PDF)『同盟旬報 昭和十五年六月下旬号』第4巻第18号、同盟通信社、1940年7月10日、68頁、2024年2月17日閲覧 
  5. ^ 官報 1943年5月19日 四七三頁
  6. ^ 官報 1943年2月3日 五八頁
  7. ^ 佐伯顕氏」『京城日報』京城日報社、1944年5月10日、3面。2024年3月20日閲覧。
  8. ^ 佐伯氏追悼会」『京城日報』京城日報社、1944年5月26日、4面。2024年3月20日閲覧。

参考文献

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  • 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。 
  • 『朝鮮人事興信録』朝鮮人事興信録編纂部、1935年。 
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十四年版』日本官界情報社、1938年。