佐久間道夫
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佐久間 道夫(さくま みちお、1893年(明治26年)7月17日[1] - 1970年(昭和45年)12月6日[2])は、昭和時代の政治家。実業家。衆議院議員。
経歴
[編集]横浜市に生まれる[3]。1911年(明治44年)神奈川県立横浜第一中学校卒業[4]。
横浜市会議員、同参事会員、横浜地方裁判所調停委員、横浜土地協会理事を歴任した[4]。ほか、実業家として佐久間家代表社員、花咲水産缶詰取締役、瑞興貿易会長を務めた[4]。
1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では神奈川県第1区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選[4]。衆議院議員を1期務めた[4]。議員在任中は内閣、大東亜省、外務省の各委員を務めた[4]。
戦後、公職追放となった[5]。その後は横浜市代表監査委員、全国監査委員会副会長となった[6]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院事務局 1942, 5頁.
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』267頁。
- ^ 議会新聞社 1943, 179頁.
- ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 204頁.
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿527頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』267頁。
参考文献
[編集]- 『第八十回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和十七年六月十五日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1942年 。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。