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佐々誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐々 誠
生誕 1890年8月5日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1948-04-23) 1948年4月23日(57歳没)
シンガポール
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1943年
最終階級 陸軍少将
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佐々 誠(ささ あきら[1]1890年明治23年)8月5日[2] - 1948年昭和23年)4月23日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1890年(明治23年)に東京府で生まれた[2]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第32期卒業[2]1935年(昭和10年)8月1日陸軍航空兵大佐進級と同時に飛行第4連隊長に着任[1]1937年(昭和12年)7月31日に飛行第8大隊長に転じ[1]11月1日下志津陸軍飛行学校幹事に就任した[1]

1938年(昭和13年)7月に陸軍少将に進級[1]1939年(昭和14年)8月に第2飛行団長に就任し[2]会寧に駐屯した[3]1940年(昭和15年)8月に中部軍司令部附となり[2]1941年(昭和16年)8月に中部軍兵務部長に就任した[2]1942年(昭和17年)8月にタイ俘虜収容所の初代所長に就任し[2][4]1943年(昭和18年)6月10日に中部軍司令部附となり[2]6月22日予備役に編入された[1]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

終戦後は戦犯として逮捕され、シンガポールで収監された[6]。タイ俘虜収容所長在任時に行われた泰緬鉄道建設において[6]、捕虜虐待や死者を出したことの管理責任を問われ[6][7]、絞首刑の判決が下り[7]1948年(昭和23年)4月23日に執行された[1][2][7]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 外山 1981, 301頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 341頁.
  3. ^ 伊藤 2021, 338頁.
  4. ^ 伊藤 2021, 339頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
  6. ^ a b c 伊藤 2021, 340頁.
  7. ^ a b c 伊藤 2021, 341頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 伊藤禎 著『大東亜戦争 戦犯として処刑された陸軍将官36人列伝』展望社、2021年。ISBN 4885464056