佐々木重綱
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 承元元年(1207年) |
死没 | 文永4年6月14日(1267年7月7日) |
別名 | 太郎、大原重綱 |
官位 | 左衛門尉 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 藤原頼経→頼嗣 |
氏族 | 近江源氏佐々木氏(大原氏) |
父母 | 父:佐々木信綱 |
兄弟 | 重綱、高信、泰綱、氏信、藤原行方室 |
子 | 長綱、頼重、秀綱、政綱、時綱、氏綱、綱弁、福永高基 |
佐々木 重綱(ささき しげつな)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。近江国大原氏の祖であることから大原重綱ともいわれる。
略歴
[編集]鎌倉幕府に仕え、承久の乱では父と共に北条泰時の東上軍に従って入京し、宇治川の戦いでは先陣を務める武功を挙げた。乱の後は4代将軍・九条頼経の近習として仕えた。しかし仁治3年(1242年)に父が死去すると、父の生前に家督と所領を譲られていた弟・泰綱と抗争し、寛元元年(1243年)には幕府に対して訴訟を起こし、幕府により泰綱の近江国内における所領を譲り受けている。このため、佐々木氏の勢力の分散化が始まった。
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