佐々木宗清
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佐々木 宗清(ささき むねきよ、生没年不詳)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士。隠岐宗清とも。通称は左衛門尉[1]、隠岐守[1]、豊前守[1]。従五位上[1]。
佐々木時清の子[1]。母は大曾禰長経の娘[1]。妻は京極宗綱の娘。子に清高[1]、清嗣[1]、秀清[1]、清貞[1]、清顕[1]。
北条時宗が得宗家当主であった頃(弘長3年(1263年)- 弘安7年(1284年))に元服をし、その偏諱(「宗」の字)を授かったとみられる[2]。生没年については未詳である。
備考
[編集]- 『皇年代記』正安3年(1301年)正月18日条では「佐々木隠岐前司宗清」とするが、他の史料からその父・時清の誤記とされる[3]。
- 『尊卑分脈』の系図において、京極宗綱の娘を宗清の母としているが、年代的にこれは誤りで、実際には宗清の妻で清高の母と考えられている[3]。