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佐々木嘉太郎 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2代 佐々木嘉太郎

2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造[1]1879年明治12年〉5月27日[2] - 1961年昭和36年〉10月21日[3])は、日本商人(呉服商)[2]、青森県多額納税者[4][5][6][7]政治家貴族院多額納税者議員[3]実業家銀行家青森銀行頭取[8]。津軽鉄道顧問[8]。「布嘉」佐々木家3代目[9]

経歴

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青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる[10][11]。佐々木眞平の長男[7]。初代・佐々木嘉太郎の孫[1]。早逝した2代目の跡を継ぐ[10]呉服商を営む[2]1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選[3]

1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した[10]。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた[9]。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した[10]

1939年(昭和14年)、青森県多額納税者として貴族院議員に互選され研究会に所属[3]、同年9月29日[12]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]日本赤十字社評議員、同青森支部商議員を務めた[8]

人物

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1914年、家督を相続[7]。趣味は骨董[6]書画、読書[1][8]。宗教は曹洞宗[1][8]。『大正人名辞典』によれば「資産は土地、株券を主とし、その他貸金、家屋等を併せて二百万円を超え、方今納税額一万三千余円を納む」という[11]。住所は青森県五所川原市。

家族・親族

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佐々木家

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第13版 上』サ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』さ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『議会制度七十年史 第1』192頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月18日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 青森県48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月14日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 青森県48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月14日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』青森9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月19日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第8版』サ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月18日閲覧。
  8. ^ a b c d e f 『人事興信録 第15版 上』サ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月18日閲覧。
  9. ^ a b 書評 庄司知恵子、山下祐介著『「布嘉」佐々木家を紡いだ人たち』。
  10. ^ a b c d 東奥日報社 2002, 287頁.
  11. ^ a b c 『大正人名辞典』667頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月20日閲覧。
  12. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。

参考文献

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  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
  • 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656