住宅開発庁
住宅開発庁 | |
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Housing & Development Board Lembaga Pembangunan dan Perumahan 建屋发展局 வீடமைப்பு வளர்ச்சிக் கழகம் | |
トア・パヨーにあるHDBの庁舎 | |
組織の概要 | |
設立年月日 | 1960年2月1日 |
継承前組織 | |
管轄 | シンガポール政府 |
本部所在地 | HDB Hub, 480 Lorong 6 Toa Payoh, Singapore 310480 |
行政官 |
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上位組織 | 国家開発省 |
ウェブサイト | www |
住宅開発庁(じゅうたくかいはつちょう、英: Housing & Development Board、マレー語: Lembaga Pembangunan dan Perumahan、建屋发展局(拼音: )、タミル語: வீடமைப்பு வளர்ச்சிக் கழகம்)は、公共住宅の供給を担う、シンガポールの法定機関であり、国家開発省の管下にある[2]。1960年代におけるシンガポール国内のスコッターやスラム街を一掃し、国が建設する安価なマンションに移住させたことで知られる[3]。2010年代現在、HBDが供給する公共住宅に入居するシンガポール人の割合は8割を超えている[4]。
画像外部リンク | |
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第1世代(1967年 - 1985年)の1セント硬貨 | |
第2世代(1976年 - 1984年)の10ドル紙幣裏面 | |
第3世代(1984年 - 1999年)の10ドル紙幣裏面 | |
第3世代(2013年 - )の10セント硬貨 |
HDBが供給する住宅は、HDBフラット[5]、HDB住宅[6]、または単にHDB[7]と呼ばれる。HDB住宅はシンガポールの象徴であり、2013年より利用が開始された第3世代10セント硬貨[8]に代表されるように、シンガポールドルの硬貨・紙幣にはHDB住宅があしらわれたものが多数発行されている。
沿革
[編集]1959年に自治権を得てからすぐ、シンガポールは住宅不足という重大な問題に直面した。第二次世界大戦による建設費用の下落と大規模な損害が戦前から続いていた住宅不足に拍車をかけたのだった。例えば、1947年の住宅委員会 (British Housing Committee) の報告書では、「世界で一番最悪なスラム街―「文明社会に対する屈辱」―の内の一つが」シンガポールにあり、同年時点の建物1軒当たりの人口密度は18.2人であると記されていた。なお、この頃は高層建築物などは珍しかった。この住宅問題は1959年まで残されていた。HDBの文書によれば、1966年時点で30万人が郊外のスコッターに住み、25万人が中心地区のごみごみとしたショップハウスに住んでいた、と推定されている[9]。1959年の選挙活動において、人民行動党 (PAP) は、住宅問題への早急な対応が必要であると認識し、もし選出されれば低コストの住宅を貧困層に提供すると公約した。結果として、PAPは選挙で勝利し、内閣が組閣されるとすぐさま住宅問題の解決に乗り出した。まず政府は、シンガポール改良信託を住宅開発庁に再編する法律、1960年住宅開発法 (Housing & Development Act of 1960) を通過させた[2]。
リム・キムサンの指導の下、国家建設中は、できるだけ多くの低コスト住宅を建設することが最優先課題と定められ、五か年計画が始動した[2]。最初期の住宅は、専ら、低所得者層向けの賃貸住宅としてであった[10]。さらに、低所得者層が賃貸としてでなく、持ち家として持てるように、持ち家計画 (The Home Ownership for the People Scheme) が1964年に導入された[4]。この制度はインフレーションに対する防護として働き、持ち家がある国民に経済的保障をもたらした。さらに4年後となる1968年には、中央積立基金の積立金を前払いに利用できるようになった[4]。
HDBは1960年代には14万7000戸、つまり年間1万4000戸の住居を建設する必要があると推定していた[註 1][9]。しかし、民間では、年間2500戸分のリソースしかなく、完成した建屋も低所得者層向けとは大きくかけ離れていた[9]。結果として、HDBは最初の5年間で、51,031戸の住居を建設した[10]。土地に限りがあるため、高層の高密度マンションが選択された。
1989年には、人種統合を推進するための政策、民族統合政策 (Ethnic Integration Policy, EIP) が導入された。これは社会的葛藤を引き起こす可能性のある社会階層化を防ぐために、様々な民族が一棟の、そして一つの街区に混在するようにするものである[11]。EIPでは、各街区単体と隣接する街区との纏まり単位で、居住する民族比率の上限を定めている[12]。
1990年代からは、既存の古い建物の更新に注力し、Lift Upgrading Programme などが実施されている[13][14]。これにより、従来では、数階飛ばしのエレベーターのみが設置されていた[15]のが、全ての階に止まるエレベーターなどの設備が新しく設置されるようになった[13]。
2003年には、HDBの建築・開発部門が株式会社化され、HDB株式会社 (HDB Corporation Pte. Ltd.) となった。HDB株式会社はその後、サーバナ株式会社 (Surbana Corporation Pte. Ltd.)と再度改称されている。
註釈
[編集]出典
[編集]- ^ “HDB chairman James Koh to retire; succeeded by Bobby Chin”. Channel NewsAsia. 14 October 2016閲覧。
- ^ a b c 丸谷浩明 1995, p. 10.
- ^ HDB Quality Living - Sample Housing Survey
- ^ a b c “Public Housing – A Singapore Icon”. 2017年6月5日閲覧。
- ^ “グローブ32号<結婚、アジアの選択>シンガポール・積極的な国家、受け身の若者 台湾・自信あふれる独身女性”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社). (2010年1月25日)
- ^ ジェトロ, p. 14.
- ^ ジェトロ, p. 17.
- ^ ジェトロ, p. 8.
- ^ a b c d Yuen, Belinda (November 2007). “Squatters no more: Singapore social housing”. Global Urban Development Magazine 3 (1) .
- ^ a b “The Housing and Development Board is established”. historySG. National Library Board. 2017年6月6日閲覧。
- ^ “居住空間を通じた"統合"への取り組み”. 主要国の外国人労働者受入れ動向: シンガポール. 労働政策研究・研修機構. 2017年6月5日閲覧。
- ^ 自治体国際化協会 シンガポール事務所, p. 5.
- ^ a b 自治体国際化協会 シンガポール事務所, p. 6.
- ^ “Lift Upgrading Programme (LUP)”. HDB. 2017年6月6日閲覧。
- ^ 丸谷浩明 1995, p. 13.
参考文献
[編集]- ジェトロ・シンガポール事務所、ジェトロ・サービス産業課. “シンガポールスタイル”. 2017年6月6日閲覧。
- “シンガポールの都市計画 シンガポールの都市計画 : コンセプトプラン2001を中心に” (PDF). 自治体国際化協会 シンガポール事務所. 2017年6月5日閲覧。
- 丸谷浩明『都市整備先進国・シンガポール : 世界の注目を集める住宅・社会資本整備』アジア経済研究所〈アジアを見る眼〉、1995年。ISBN 9784258050932。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]住宅開発庁に関する 図書館収蔵著作物 |
住宅開発庁著の著作物 |
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