伴野貞政
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 生年不詳 |
死没 | 元禄4年3月12日(1691年4月10日) |
別名 | 通称は主馬、九左衛門 |
戒名 | 貞穏 |
墓所 | 東京都豊島区駒込の大円寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家康→徳川忠長→松平乗寿→徳川家光 |
氏族 | 清和源氏小笠原氏流伴野氏 |
父母 | 伴野貞守(能登守) |
兄弟 | 伴野貞政、伴野貞秀、伴野貞輝 |
妻 | 倉橋政長娘、後妻吉田氏娘 |
子 | 伴野貞継、伴野貞重、伴野貞皎、伴野貞春、伴野貞映、伴野貞静 |
伴野 貞政(ともの さだまさ、生年不詳 - 元禄4年3月12日(1691年4月10日))は江戸時代の旗本。清和源氏小笠原氏流伴野氏。通称は主馬、九左衛門。妻は倉橋政長の娘、後妻は吉田氏。
祖父の伴野貞吉が武田氏遺臣として徳川氏に仕え、父の伴野貞朝は大坂の陣に供奉した。元和4年(1618年)に家督を相続し、同8年(1622年)に徳川忠長に附属させられるが、寛永10年12月(1634年1月)主家の改易に伴い、松平乗寿に預けられる。同13年12月10日(1637年1月)に赦免され御小姓に列し、同15年(1638年)武蔵国幡羅郡に300石を賜る。寛文3年(1663年)大番に移るが、同12年(1672年)に小普請に移る。元禄4年(1691年)に江戸で死去。法名は貞穏。駒込の大円寺に葬られた。
弟の伴野貞秀、伴野貞輝も旗本として別家を興した。子に貞継、貞重、貞皎、貞春、貞映、貞静らがいる。
参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜 巻第200」