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伴直之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伴 直之助(ばん なおのすけ、1862年文久2年8月 (旧暦)[1][2]) - 1937年昭和12年)7月26日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員(1期)。号は智齋[3][4](ちさい[5])・痴齋[6]

経歴

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武蔵国に生まれる[2]東京経済雑誌社編集、山梨峡中新報社、大阪立憲政党新聞社主筆、東京府会議員、東京市会議員、深川区会議員、徴兵参事員、京都商業銀行、両毛鉄道播但鉄道京都鉄道各会社等を設立し、重役となる[1][2]

1879年同人社[1][2]。卒業後、田口卯吉が創設した経済雑誌社(後の東京経済雑誌社)に入社[7]。同誌の持主兼印刷人を担当していた1884年には、新聞紙条例にもとづき罰則を科せられる事件があった[8]

1886年に田口卯吉らが創立した両毛鉄道の創立準備に参加し、1887年から1894年まで同社の支配人に就任[7]。同時期の1887年に同志社英学校で講師をし[5]、かつ京都看病婦学校の設立にも参加している[5]

1894年9月の第4回衆議院議員総選挙に、田口卯吉と一緒に立候補して二人とも当選している[1]:付2。伴は東京5区から無所属で立候補して当選した[9]。衆議院議員を1期務め、1898年第5回衆議院議員総選挙は不出馬。

1895年に京都鉄道の支配人、のちに取締役兼支配人となり、1907年に同社が国有化されるまで続いた[7]

1937年に台湾で死去[7]

親族

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教育者木村鐙子および経済学者・実業家田口卯吉の姉弟は、直之助の従兄弟である[10]

出典

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  1. ^ a b c d "伴直之助". 総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回. 衆議院事務局. 1940. p. 372. NDLJP:1278238
    • 衆議院議員略歴 p372: 伴直之助
    • 付録 p2 議員府県別当選回数調: 東京府第4回
  2. ^ a b c d e "伴直之助". 議会制度七十年史. Vol. 衆議院議員名鑑. 1962. p. 408. NDLJP:3000139
  3. ^ 復刻版: 雑録 - 中国九州の諸士に告ぐ」『東京経済雑誌 46 明治24年10-12月 592-604号』 46巻、日本経済評論社、東京、1983年3月20日、603号 p911。hdl:2027/uc1.c3230807NCID AN00329943https://hdl.handle.net/2027/uc1.c3230807?urlappend=%3Bseq=519 (URLはHathiTrust
  4. ^ 坪谷, 善四郎『大橋新太郎伝』博文館新社、東京、1985年8月1日(原著1937年)、32頁。 NCID BN01919485OCLC 568172121。「[明治9年に大橋新太郎が入学した同人社の]門番兼時間報告の拍子木を打って回る校僕に、伴直之助というのがあったが、それが勤務の間に勉学して、後には法学博士田口卯吉の後を継いで、東京経済雑誌社を経営し、雑誌のほかに多く有益な大部の図書も出版した。この人は身体が矮小なので、自ら智斎と称したが、今は台湾の台北にて、ある事業を経営し、」 (本書は大橋新太郎の伝記)
  5. ^ a b c "Ban, Naonosuke (伴直之助)". Who's who in Japan. Eighth annual edition (英語) (8 ed.). 東京: フース・フー・イン・ジャパン. 28 December 1919. Biographies (Japanese) B-2. NCID AA00479296. OCLC 635552092. NDLJP:1699847. nom de plume "Chisai"
  6. ^ 渡邉, 雅弘「論説 三瀬諸淵の「失われた」ソクラテス論の迷宮・私論(一)- 刑死と不知と「無知の知」文献史からの攷究 -」『社会科学論集』第53号、愛知教育大学地域社会システム講座、2017年3月、p47 脚注(30)、hdl:10424/00007218ISSN 0288-5778CRID 1050001338439729792 
  7. ^ a b c d 石井里枝 著「伴 直之助 ばん・なおのすけ」、鉄道史学会 編『鉄道史人物事典』鉄道史学会(発売:日本経済評論社)、東京、2013年2月18日、343-344頁。ISBN 978-4-8188-2201-6 
    • 本項が参考文献として挙げているもの: 老川慶喜『近代日本の鉄道構想』(日本経済評論社 2008年)、日本交通協会編『鉄道先人録』(日本停車場 1972年)
  8. ^ 塩島, 仁吉 編「3. 東京経済雑誌の発行」『鼎軒田口先生伝』経済雑誌社、1912年5月20日、10頁。 NCID BN08572488NDLJP:781642https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781642/16 
  9. ^ 日本国政調査会, ed. (1977). "伴直之助". 衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙. 国政出版室. p. 20. NCID BN01574383
  10. ^ 岡田, 有功「第一次企業勃興期における田口卯吉の<起業者活動>」『九州共立大学経済学部紀要』第123号、2011年、17頁、ISSN 13402641NAID 120006334612