伴東
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伴 東(ばん あずま、1887年(明治20年)4月14日[1] - 没年不明[2])は、日本の内務官僚。関東州官僚。
経歴
[編集]島根県海士郡海士村(現在の隠岐郡海士町)出身。大阪府立農学校獣医学科を経て、1910年(明治43年)に盛岡高等農林学校獣医学科を卒業した[3]。のち法科に転じ法政大学に学んで1916年(大正5年)に高等文官試験に合格した[3]。警視庁警視、愛知県額田郡長、同知多郡長、長崎県商工課長、同水産課長、同農林課長、福井県学務部長、岩手県警察部長、滋賀県警察部長、愛知県警察部長、大分県内務部長、関東局旅順民政署長を歴任した[1][3][4]。
退官後、興中公司嘱託、天津電業公司総務科長、大連機械製作株式会社支配人・総務部長を経て[1]、東亜生果株式会社社長を務めた[4]。
出典
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1943, p. 關東州三六.
- ^ 井上晴樹『旅順虐殺事件』筑摩書房、1995年、262頁。
- ^ a b c 人材・島根 1938, p. 297.
- ^ a b 人事興信録 1943, p. ハ之部 ハ126.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 島洋之助編『人材・島根』島根文化社、1938年。