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会津壮麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

会津 壮麻呂(あいづ の おまろ / たけまろ[1] / おとこまろ、生年不詳 – 延暦8年(789年)5月)は、奈良時代の武人[1]。氏姓は丈部のち阿倍会津臣。

経歴

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陸奥国会津郡の人物。神護景雲3年(769年)丈部庭虫らが丈部から阿倍会津臣に改姓しており[2]、この時に壮麻呂も改姓したか。延暦8年(789年)に征東大将軍紀古佐美に従って進士(志願兵)として蝦夷征討に参加するが、陸奥国胆沢蝦夷の首長・阿弖流為の率いる軍勢に敗れ、戦死した(巣伏の戦い[3]

脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『会津壮麻呂』 - コトバンク
  2. ^ 『続日本紀』神護景雲3年3月13日条
  3. ^ 『続日本紀』延暦8年6月3日条

参考文献

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