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伏見長景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伏見 長景(ふしみ ながかげ、永禄8年(1565年) - 万治元年11月7日1658年12月1日[1])は安土桃山時代の武将、江戸時代旗本。通称は金右衛門、初名は高景、後に景綱[1]

野呂正景の次男、母は北畠具教の娘。伏見長政の娘を妻として、その養子となる[1]。子に伏見為景伏見景継伏見為則室、野呂宗景室、養子に伏見為則(津戸為次次男)がいる[1]

文禄4年(1595年)に初めて徳川家康に拝謁。関ヶ原の戦い大坂の陣にも供奉する[1]

元和5年(1619年)より徳川忠長の家臣となるが、忠長の改易の後に一旦処士となり、寛永11年(1634年)より徳川家光に仕えて大番に列する。寛永12年(1635年)12月13日、甲斐国巨摩郡で200石を与えられる。その後、大番を辞して小普請となる。万治元年(1658年)、94歳で死去。法名は日鑑。現・東京都新宿区喜久井町の感通寺に葬られた[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 寛政重修諸家譜 巻第九百六十八