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伍習

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伍 習[1](ご しゅう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。郭汜配下の武将。

事績

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興平2年、時の皇帝である献帝は傀儡となり、李傕と郭汜のどちらがそれを擁立して政権を握るか争っていた。そのような中で同年10月1日195年11月19日)の夜、伍習は郭汜の命を受け、献帝を脅迫するため、彼が宿泊していた学舎に火を放った。しかしこれに反発した楊定楊奉の攻撃を受け、郭汜の軍は敗れた[2]

その後、献帝にも逃げられ没落した郭汜は建安2年(197年)、郿で伍習の裏切りにより殺害された[3]

羅貫中の小説『三国志演義』では第17回で登場。郭汜を殺害した後、その首級を献上した功績で曹操から殄虞[4]将軍に任じられ、李傕を殺害した段煨と共に長安の守備を任される。

脚注

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  1. ^ 陳寿三国志』魏書 董卓伝では五習とする。
  2. ^ 范曄後漢書』献帝紀
  3. ^ 『三国志』董卓伝
  4. ^ 史書上では「殄」(てんぐ)という将軍職は見られない。ちくま文庫の邦訳版(2巻.p36)では「殄」(てんりょ)と訳すが、こちらは『宋書』志第29 百官上などに用例が見られる。