伊達宗曜
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伊達 宗曜(だて むねてる、明治13年(1880年)5月11日 - 大正11年(1922年)7月16日)は、明治時代から大正時代の華族。正四位。男爵。貴族院議員。伊予宇和島藩主・伊達宗城の十男。幼名は鉤一郎。明治25年(1892年)に兄・伊達宗倫の養子となり、同年10月31日に宗曜と改名した[1]。妻は伊予吉田藩主・伊達宗孝(宗城の実弟)の娘・富貴子。子に宗光、宗克、宣子(藤沢威雄夫人)、城善、直子(大浦康信夫人)、菊子(高津奈良夫人)、欽子(秋元順朝夫人)、美知子(初名孝子)。
学習院中退後、築地の文海学校に入るが中退し、家庭教師に勉学を学ぶ。大正9年(1920年)に貴族院議員となる。大正11年(1922年)に43歳で没した。家督は宗光が継いだ。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2806号、明治25年11月2日。
参考文献
[編集]- 日本人物大辞典(講談社刊)
日本の爵位 | ||
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先代 伊達宗倫 |
男爵 (宇和島)伊達家(分家)第2代 1892年 - 1922年 |
次代 伊達宗光 |