伊豆諸島北部地震
伊豆諸島北部地震(いずしょとうほくぶじしん)では、日本の伊豆諸島北部(主に新島、神津島、三宅島近海)を震央とする主な地震活動について述べる。
1811年 三宅島近海
[編集]1811年1月27日(文化8年1月3日)、三宅島雄山の噴火後地震が相次ぎ、三宅島において山崩れ、地割れなどが生じた[1]。この地震活動は5日後の2月1日夕方まで続いた[2]。
1835年 三宅島近海
[編集]1835年11月11日(天保6年9月21日)、三宅島雄山の噴火後地震が相次ぎ、三宅島において山崩れ、地割れなどが生じた他、阿古村では温泉が湧出した[2]。
1836年 新島近海
[編集]1836年3月31日(天保7年2月21日)、新島近海(北緯34度24分 東経139度12分 / 北緯34.400度 東経139.200度)を震央とする推定M5-6の地震が発生し、新島において神社や寺の石垣が崩れるなどの被害が発生した[1]。
1885年 神津島近海
[編集]1885年(明治18年)9月26日12時ごろ、神津島近海付近(北緯34度 東経139度 / 北緯34度 東経139度)を震央とする推定M6.8の地震が発生し、静岡県、神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県の広い範囲で最大震度の強震(2)を記録した。
続いて2日後の9月28日05時半ごろに、ほぼ同じ震央で推定M6.7の地震が発生し、こちらも静岡県、神奈川県、山梨県で最大震度の強震(2)を記録している[3]。
1890年 神津島近海
[編集]1890年(明治23年)4月16日21時34分ごろ、神津島近海付近(北緯34度12分 東経139度18分 / 北緯34.200度 東経139.300度)を震央とする推定M6.8の地震が発生し、静岡県下田町で最大震度の烈震(3)を記録した[3]。
続いて翌日4月17日04時56分ごろに、ほぼ同じ震央で推定M6.3の地震が発生し、静岡県、神奈川県で最大震度の強震(2)を記録している[3]。
これらの地震によって、三宅島の海岸線では山崩れや地割れが生じた[4]。
1900年 三宅島近海
[編集]伊豆諸島北部地震 (1900年) | |
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本震 | |
発生日 | 1900年(明治33年)11月5日 |
発生時刻 | 16時42分 |
震央 |
日本 伊豆諸島北部近海 北緯33度54分秒 東経139度24分秒 |
規模 | M6.6 |
最大震度 | 震度強震(2):千葉県、神奈川県、埼玉県 |
地すべり | あり |
前震 | |
回数 | あり(11月4日より) |
被害 | |
被害地域 | 神津島、三宅島、御蔵島 |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1900年(明治33年)11月5日16時42分ごろ、三宅島近海付近を震央とする推定M6.6の地震が発生し、千葉県、神奈川県、埼玉県で最大震度の強震(2)記録した[3]。前日の11月4日より前震が発生していたとされている。
神津島で家屋全壊2棟、半壊3棟の被害が発生した他、三宅島、御蔵島の海岸線では山崩れや地割れ、石垣の崩壊などが生じた。
1908年 銭洲近海
[編集]1908年(明治41年)5月13日05時22分ごろ、銭洲近海(北緯33度54分 東経138度54分 / 北緯33.900度 東経138.900度)を震央とする推定M6.0の地震が発生し、静岡県、山梨県、長野県で最大震度の4を記録した[3]。本震の38分前より前震が発生している。
1936年 新島近海
[編集]新島・神津島近海地震 (1936年) | |
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本震 | |
発生日 | 1936年(昭和11年)12月27日 |
発生時刻 | 09時14分41秒 |
震央 |
日本 新島・神津島近海 北緯34度17.0分秒 東経139度17.4分秒 |
震源の深さ | 20 km |
規模 | 気象庁マグニチュード Mj6.3 |
最大震度 | 震度4:静岡県伊東町 |
地すべり | あり |
前震 | |
回数 | あり(12月26日より) |
最大前震 | 12月27日09時12分 M4.7 最大震度1 |
余震 | |
最大余震 | 12月27日11時12分 M5.6 最大震度2 |
被害 | |
死傷者数 | 死者3名、負傷者70名 |
被害総額 | 約70万円 |
被害地域 | 新島、式根島 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1936年(昭和11年)12月27日09時14分ごろ、新島の南約5kmを震源とするM6.3の地震が発生し、静岡県伊東町で最大震度の4を観測した[5]。
この地震によって、震央付近である新島、式根島では震動が著しく、死者3名(全て新島[6])、負傷者70名、家屋全壊39棟、半壊473棟の被害が発生した他、石垣の崩壊、海岸では崖崩れが随所で見られた[1]。
新島では12月26日午後より地震が相次いでいて、21時ごろからは活動が激しくなっていった。翌27日の午前9時より活動が激化し、9時12分に最大前震であるM4.7の地震、その2分後に本震が発生した。その後も余震活動が続き、約2時間後に最大余震であるM5.6の地震、また2日後の12月29日にもM5.5の地震が発生した[4]。
初動発震機構解は北東から南西に張力軸を持つ横ずれ断層型であった[7]。
1944年 新島近海
[編集]1944年(昭和19年)12月8日05時58分ごろ、新島・神津島近海(鵜渡根島の東約10km北緯34度28.5分秒 東経139度24.1分秒)を震央とするM5.8、震源の深さ8kmの地震が発生し、東京都、静岡県、神奈川県の広い範囲で最大震度の3を計測した[5]。
翌12月9日03時20分ごろ、新島の北西約15km(北緯34度28.1分 東経139度06.2分 / 北緯34.4683度 東経139.1033度)を震央とするM6.3、震源の深さ30kmの地震が発生し、東京都、静岡県、神奈川県、三重県、岐阜県の広い範囲で最大震度の3を計測した[5]。
これらの地震は12月7日に発生した昭和東南海地震(M7.9, Mw8.1)の広義の余震(誘発地震)と推定されている[8]。
1956年
[編集]8月 銭洲近海
[編集]1956年(昭和31年)8月13日01時59分ごろ、銭洲の東約15km(北緯33度56.1分 東経138度58.7分 / 北緯33.9350度 東経138.9783度)を震央とするMj6.3(Mw6.4[9])、震源の深さ3kmの地震が発生し、東京都三宅村、静岡県南伊豆町、御前崎町で最大震度の3を計測した[5]。
同地点付近では約2年前より地震活動がやや活発な状態で、度々M4を超えるような地震が発生していた。
12月 御蔵島近海
[編集]12月22日05時10分ごろ、御蔵島の南西約15km(北緯33度45.1分 東経139度32.0分 / 北緯33.7517度 東経139.5333度)を震央とするMj5.9(Mw6.0[9])、震源の深さ0kmの地震が発生し、東京都三宅村、八丈町で最大震度の3を計測した[5]。
続いて翌12月23日08時12分ごろ、同じく御蔵島の南約25km(北緯33度38.3分 東経139度41.0分 / 北緯33.6383度 東経139.6833度)を震央とするMj6.0(Mw6.2[9])、震源の深さ13kmの地震が発生し、東京都三宅村、八丈町、千葉県勝浦町で最大震度の3を計測した[5]。
御蔵島近海では12月21日より地震活動が活発化しており、上記のイベントはその中でも最大級の規模であった。この地震活動は翌年1月上旬には終息した。
1957年 新島・神津島近海
[編集]新島・神津島近海地震 (1957年) | |
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本震 | |
発生日 | 1957年(昭和32年)11月11日 |
発生時刻 | 04時20分08秒 |
震央 |
日本 新島・神津島近海 北緯34度16.8分秒 東経139度16.6分秒 |
震源の深さ | 17 km |
規模 | 気象庁マグニチュード Mj6.0 |
最大震度 | 震度4:東京都新島本村、三宅村 |
地すべり | あり |
前震 | |
回数 | あり(11月6日より) |
最大前震 | 11月10日17時26分 Mj5.3 最大震度3 北緯34度15.6分秒 東経139度18.7分秒 |
余震 | |
最大余震 | 11月11日04時53分 M5.4 最大震度3 北緯34度02.1分秒 東経139度15.4分秒 |
被害 | |
被害地域 | 新島、式根島 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1957年(昭和32年)11月10日17時26分ごろ、新島の南約10kmを震央とするMj5.3(Mw5.8[9])、震源の深さ5kmの地震が発生し、東京都新島本村、三宅村で最大震度の3を計測した[5]。
続いて翌11月11日04時20分ごろ、同じく新島の南約5kmを震央とするMj6.0(Mw6.2[9])、震源の深さ17kmの地震が発生し、東京都新島本村、三宅村で最大震度の4を計測した[5]。
新島・神津島近海では11月6日より地震活動が活発化しており、上記のイベントはその中でも最大級の規模であった。
これらの地震活動によって、式根島では家屋全壊2棟、半壊2棟、石垣崩壊20箇所、新島では家屋亀裂6棟、崖崩れ2箇所などの被害が生じた[10]。
1962年
[編集]5月 三宅島近海
[編集]1962年(昭和37年)5月5日20時11分ごろ、三宅島の西約10km(北緯34度06.4分 東経139度21.5分 / 北緯34.1067度 東経139.3583度)を震央とするMj5.8(Mw5.6[9])、震源の深さ10kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の4を観測した[5]。余震活動は概ね5月中に終息したものの、7月中旬まで一時的な活発化を繰り返した。
8月 三宅島近海
[編集]8月26日15時48分ごろ、三宅島の西約10km(北緯34度07.2分 東経139度24.3分 / 北緯34.1200度 東経139.4050度)を震央とするMj5.9(Mw6.0[9])、震源の深さ33kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の5を観測した[5]。その後の地震活動も非常に活発で、年末までにM5以上の地震が8回、M4以上の地震が71回観測された。最大余震は8月30日に発生したMj5.8(Mw5.9)、最大震度4[5]。
これらの地震によって三宅島では家屋破損、石垣崩壊などの被害が発生した。また、更なる地震・火山活動の激化を警戒して、一部島民の島外避難が行われた[2]。
三宅島では7月下旬から地震活動が低調な状態が続いていたが、8月24日に噴火が発生し、その後25日から地震活動が活発化してた[2]。
1967年 新島・神津島近海
[編集]1967年(昭和42年)4月6日15時17分ごろ、神津島の北東約5km(北緯34度16.4分 東経139度12.0分 / 北緯34.2733度 東経139.2000度)を震央とするMj5.3、震源の深さ23kmの地震が発生し、東京都新島本村で最大震度の3を観測した。その後も同日17時49日にMj5.2、翌日4月7日08時28分にもMj5.2の地震が発生した[5]。これらの地震活動によって、震源に近い式根島では住家全壊7戸・半壊9戸・一部損壊61戸、道路破損11箇所、神津島で負傷者3人、崖崩れ26箇所、新島で電柱倒壊などの被害が発生した[4]。
神津島近海では同年3月27日より地震活動が活発化しており、上記の活動はその中でも最大のものであった。
1974年 御蔵島近海
[編集]1974年(昭和49年)6月27日10時49分ごろ、御蔵島の西約20km(北緯33度48.1分 東経139度23.6分 / 北緯33.8017度 東経139.3933度)を震央とするMj6.1(Mw5.9[9])、震源の深さ23kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の4を観測した。
約1ヶ月半前には石廊崎付近を震源とする伊豆半島沖地震(Mj6.9, Mw6.4)が発生している。
1982年 御蔵島近海
[編集]三宅島近海地震 (1982年) | |
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本震 | |
発生日 | 1982年(昭和57年)12月28日 |
発生時刻 | 15時37分42秒 |
震央 |
日本 御蔵島近海 北緯33度52分秒 東経139度27分秒 |
震源の深さ | 20 km |
規模 | 気象庁マグニチュード Mj6.4 |
最大震度 | 震度4:東京都三宅村、八丈町 |
津波 | 40cm(八丈町八重根)[11] |
地震の種類 | 横ずれ断層型[9] |
地すべり | あり |
前震 | |
回数 | あり(12月27日より) |
最大前震 | 12月28日10時52分 Mj5.8 最大震度3 北緯33度46分秒 東経139度22分秒 |
余震 | |
最大余震 | 12月29日16時02分 M5.9 最大震度3 北緯33度46分秒 東経139度22分秒 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1982年(昭和57年)12月28日15時37分ごろ、御蔵島の西方約10kmを震央とするMj6.4(Mw6.3[9])の地震が発生し、東京都三宅村、八丈町で最大震度の4を観測した他、八丈島八重根で40cmの津波を観測した。
御蔵島近海では前日の12月27日より地震活動が活発化しており、27日20時にはMj5.5、28日10時には最大前震であるMj5.8の地震が発生している。余震活動も活発で、翌日29日にはMj5.9の最大余震が発生した。 この地震活動は翌年1月には終息している[12]。
1983年 三宅島近海
[編集]1983年(昭和58年)10月3日22時33分ごろ、三宅島の南約5km(北緯34度00.4分 東経139度30.7分 / 北緯34.0067度 東経139.5117度)を震央とするMj6.2(Mw6.0[9])、震源の深さ15kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の5を観測した[5]。18時ごろより地震活動が活発化しており、この活動中最大のイベントであった。余震活動は翌10月4日まで活発な状態であったが、10月中旬には終息している。
三宅島では同日に噴火が発生している。
1990年 東海道南方沖
[編集]東海道南方沖地震 (1990年) | |
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本震 | |
発生日 | 1990年(平成2年)9月24日 |
発生時刻 | 15時37分42秒 |
震央 |
日本 八丈島の西方約100km北緯33度06.4分秒 東経138度37.8分秒 |
震源の深さ | 10[13] km |
規模 | 気象庁マグニチュード Mj6.6 |
最大震度 | 震度3:伊豆諸島、三重県、滋賀県、大阪府 |
津波 | 30cm(神津島)[14] |
地震の種類 | 横ずれ断層型[9] |
余震 | |
最大余震 | 9月24日07時09分 M6.0 最大震度3 北緯33度08.6分秒 東経138度35.3分秒 |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
1990年(平成2年)9月24日15時37分ごろ、東海道南方沖を震央とするMj6.6(Mw6.5[9])の地震が発生し、伊豆諸島、三重県、滋賀県、大阪府の広い範囲で最大震度の3を観測したほか、神津島で30cm、八丈島八重根で18cm、三宅島で10cmの津波を観測した。約1時間後には最大余震のMj6.0、最大震度3の地震が発生している。
本震の気象庁による震源の深さは60kmとなっており、余震も60km前後に求まっているが、この数値はアセノスフェア内が震源となっており、また津波が発生していることとも整合しない為、実際の深さは10km以浅であると推定されている[13]。
1991年 銭洲近海
[編集]1991年(平成3年)9月3日17時44分ごろ、銭洲の南約30km(北緯33度41.2分 東経138度49.7分 / 北緯33.6867度 東経138.8283度)を震央とするMj6.3(Mw6.2[9])、震源の深さ10km以浅[13]の地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の4を観測した[5]。
1995年 神津島近海
[編集]1995年(平成7年)10月6日21時43分ごろ、神津島の南西約5km(北緯34度09.1分 東経139度06.2分 / 北緯34.1517度 東経139.1033度)を震央とするMj5.9(Mw5.9[9])、震源の深さ9kmの地震が発生し、東京都神津島村で最大震度の5を観測した[5]。
神津島近海では10月5日より地震活動が活発化しており、このイベントは活動中最大規模であった。余震活動も活発でM4以上の地震が8回、M3以上の地震が105回発生したが、この地震活動は10月末にはほぼ終息した[15]。
2000年 伊豆諸島北部
[編集]火山フロント上の浅部で起きた群発地震としては世界の観測史上最大級の活動で、2000年6月26日以降御蔵島・三宅島・新島・神津島近海を震央とするM6以上の地震が6回、M5以上が77回、M4以上が600回以上発生した[3]。最大のイベントは7月30日に発生したMj6.5(Mw6.5[9])、最大震度6弱[5]。
三宅島の火山活動に伴うマグマの貫入が群発地震の原因と考えられている[3]。
2013年 三宅島近海
[編集]2013年(平成25年)4月17日10時15分ごろ、三宅島近海(大野原島付近北緯34度02.8分秒 東経139度21.1分秒)を震央とするMj6.2(Mw5.6[9])震源の深さ9kmの地震が発生し、東京都三宅村で最大震度の5強を記録した。
三宅島近海では同日10時ごろより地震活動が活発化しており、本震の直前15秒前には最大前震であるMj5.1の地震が発生している。余震活動は比較的低調で、4月末までには終息した。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 国立天文台 編『理科年表 平成29年』丸善、2016年。ISBN 978-4-621-30095-4 。
- ^ a b c d “三宅島噴火災害教訓情報 第1期 三宅島の概要” (PDF). 防災科学技術研究所. 2017年6月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g 地震予知連絡会会報 第65巻 4. 地震予知連絡会. (2001年2月) 2017年6月15日閲覧。.
- ^ a b c d 宇佐美龍夫、石井寿、今村隆正、武村雅之、松浦律子『日本被害地震総覧 599-2012』東京大学出版会、2013年。ISBN 978-4-13-060759-9 。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “震度データベース検索”. 気象庁. 2017年6月13日閲覧。
- ^ 間断ない余震におびえる島民『東京朝日新聞』昭和11年12月28日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p199 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 吉松隆三郎 (1937). “昭和11年12月27日伊豆新島強震及び同年10月26日安房野島崎沖顯著地震と地電流の變化に就いて”. 気象集誌. 第2輯 15 (4): 158-160. doi:10.2151/jmsj1923.15.4_158 2017年6月15日閲覧。.
- ^ 宇津徳治 (1981年2月). “伊豆半島とその周辺の地震活動(1901 年~ 1980 年)” (PDF). 地震予知連絡会会報 (地震予知連絡会) 25 (3-35): 199-203 2017年6月15日閲覧。.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “Search Earthquake Catalog”. アメリカ地質調査所. 2017年6月15日閲覧。
- ^ 宇津, 徳治、嶋, 悦三、吉井, 敏尅 ほか 編『地震の事典 (第2版)(普及版)』朝倉書店、2010年。ISBN 978-4-254-16053-6 。
- ^ 羽鳥徳太郎 (1983-10-22). “17. 1982年12月28日三宅島近海地震の津波”. 東京大学地震研究所彙報 58 (2): 433-437 2017年6月15日閲覧。.
- ^ 気象庁地震予知情報課 (1983年8月). “1982年12月28日三宅島近海の地震” (PDF). 地震予知連絡会会報 30 (3-4): 59-63 2017年6月15日閲覧。.
- ^ a b c 植平ほか (1992-1993). “Depth Phase を使った1990年9月の東海道はるか沖での地震 (M6.6) と1991年9月の三宅島近海での地震 (M6.3) の深さの推定”. 地震 第2輯 47 (3): 347-350. doi:10.4294/zisin1948.47.3_347 2017年6月13日閲覧。.
- ^ 羽鳥徳太郎 (1991). “伊豆諸島周辺における津波の規模 1990年2月20日大島近海津波・1990年9月24日東海道はるか沖津波”. 地震 第2輯 44 (4): 297-303. doi:10.4294/zisin1948.44.4_297 2017年6月13日閲覧。.
- ^ “1995年10月の地震活動について”. 地震調査研究推進本部 地震調査委員会 (1995年11月8日). 2017年6月15日閲覧。