伊藤澄子
伊藤 澄子(いとう すみこ)は、アメリカ合衆国を拠点に事業を行っている日本人実業家である。
日本人女性として初めてのインベストメント・バンカー(投資銀行の行員)といわれる[1][2]。
人物
[編集]経歴
[編集]伊藤は1974年(昭和49年)に東京大学経済学部を卒業し、厚生省(当時)に入省した。その際には、一旦は「今年は女は採用しない」と言われたものの諦めず、結果として採用されたという[1]。
厚生省在籍中に英国のオックスフォード大学に留学、同大学より経済学の修士号を取得した[3][4]。伊藤は、この留学経験を通して「日本より海外で仕事をするほうが、ひとりの人間として公平に評価される」と痛感、29歳だった1980年(昭和55年)に厚生省を退官してアメリカ合衆国に単身で移住した[1]。
アメリカで伊藤は、経営コンサルティング会社勤務を経て、米国野村證券(Nomura Securities International, Inc.)に就職した[4]。日本人女性として初めてのインベストメントバンカー(投資銀行員)となって債券投資業務等に携わった伊藤はその後、ボルチモアを拠点とする投資銀行であったアレックス・ブラウン(Alex. Brown & Sons, Inc.)に移り、同社のパートナーに就任した[5]。
アレックス・ブラウンを退職後、1991年(平成3年)10月には自らの投資・経営コンサルティング会社であるアルカディア・キャピタル(Arcadia Capital, Inc.)[6]を設立した。その5年後の1996年(平成8年)、投資顧問会社 フィッシャー・フランシス・トリーズ・アンド・ワッツ(Fischer Francis Trees & Watts, FFTW)の日本法人社長となって、15年ぶりに日本に戻った[1]。
その後同職からは退任し、アルカディア・キャピタルCEOとして日米企業へのコンサルティングを行って現在に至る[3]。
事例研究のモデル
[編集]1993年(平成5年)、ケースメソッドの教材として伊藤を取り上げた文芸が、ハーバード・ビジネス出版から出版された[2][3]。これは、日本、英国、米国という3つの異なる文化を経験しながら、日本人女性として初めてのインベストメントバンカーとなった伊藤の人生とキャリアーを描写したもので、執筆者であるハーバード大学教授、デビッド・トーマスは、「彼女の人生の節目ごとに立ちはだかった男社会の壁を検証し、この壁をどう突き崩したかを学ぶことは、日本研究の生きた教材だ」と述べている[1]。
私生活
[編集]伊藤のニューヨークの自宅は、ワールドトレードセンター・サイトに程近いマンハッタン南部にあり、日本では長野県軽井沢町に居を構えている[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e (4)「雌飛」の時 -実力勝負の海外へ 第1部 閉塞を破る 『日本経済新聞』 平成10年 1面企画
- ^ a b "Sumiko Ito" by David A. Thomas, Debra A. Woog, Source: Harvard Business School, Publication date: Apr 23, 1993
- ^ a b c d 「フォーカス 福島の被災児らを軽井沢に招待したNYのコンサルタント 伊藤澄子氏」 『日本経済新聞』 平成23年9月6日夕刊 ひと・生活面
- ^ a b Sumiko Ito bio Stern Business School, New York University
- ^ Sumiko Ito Harvard Business Review
- ^ 1185 Avenue of the Americas, New York, NY