伊藤満洲雄
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伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30日 - )は、日本の実業家。父は初代内閣総理大臣の伊藤博文の次男・眞一[1]。
来歴
[編集]兵庫県川辺郡塚口(現・尼崎市)に生まれる[1]。名前は、同年に建国された満州国にちなむ形で満洲雄(ますお)となった[1]。父は当時南満州鉄道に勤務していたが、満洲雄の生まれる前年に大阪勤務となっていた[1]。
子供の頃から体が弱く、大阪市立曽根崎小学校に入学した年の秋に肺炎となり、阪大病院に入院、退院後も中耳炎に罹患した[1]。当時両親からは「早く亡くなってしまうのではないだろうか」としばしば言われたという[1]。
通学先はその後、塚口小学校に変更となる[1]。父の転勤で東京の青南小学校に移った後、疎開により滋賀県の瀬田町立瀬田国民学校に転校した[1]。滋賀在住のまま滋賀県立膳所中学校に入学し、終戦後に東京都立第一中学校に転校した[1]。都立一中時代は、学校外で個人的に吉田健一から英語を学んだという(東京での転居先が吉田の旧居だった縁による)[1]。
東京大学に進学し、法学部を卒業した[1]。卒業後は住友軽金属工業に入社する[1]。1963年にはインターナショナル・マネージメント・インスティテュート(スイス・ジュネーブ)に派遣された[1]。
社内では非鉄金属関連の業務を手がけ、在職後半にはアルミニウム精錬に関する事業に携わったが、1982年には住友軽金属アルミニウムが解散した[1]。
その後満洲雄は、1990年に、大企業向けの語学サービス企業であるブルーベル・インフォメーションを設立した[1]。2014年、国際福祉環境推進機構理事長就任。2021年同職を退任。[2]