伊藤淳 (政治家)
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伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年10月3日[1][2])- 1903年(明治36年)5月29日[1][3][4])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]越前国大野郡御領村[1](福井県[3]大野郡阪谷村[4]を経て現大野市[1]御領[5])で、豪農・伊藤三郎左衛門の長男[注釈 1]として生まれた[1]。普通学を修めた[3][4]。1874年(明治7年)8月に家督を相続した[2]。
大区副区長、阪谷村五箇村組合長、大野郡会議員(2期)、同参事会員などを務め[1][3][4]、明治初期に永昌社(金融機関)を創立して農家の便宜を図った[1]。1885年(明治18年)11月、福井県会議員に選出され[1]、1902年(明治35年)8月まで5期在任[1]。この間、同常置委員、同参事会員などにも在任し[1][3][4]、道路の整備などに尽力した[1]。
1902年8月、第7回衆議院議員総選挙(福井県郡部、立憲政友会)で初当選し[1][2][6]、1903年(明治36年)3月の第8回総選挙(福井県郡部、立憲政友会)でも再選され[1][6]、衆議院議員に連続2期在任[3][4]。議員在任中の同年5月に死去した[1][7]。
郷里、阪谷の耕地整理、水田化、道路整備、河川の護岸工事などに尽力した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 初版』19頁では二男。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 福井県議会史編さん委員会編『福井県議会史 議員名鑑』福井県議会、1975年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。