コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊藤氏親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 氏親(いとう うじちか、生没年不詳)は、江戸時代前期の仙台藩士。通称、忠次郎。家格平士

生涯

[編集]

仙台藩重臣で奉行(国家老)を務めた柴田朝意の次男として誕生する。母は朝意の継室で、長宗我部元親の孫とされる。異母兄は父と同じく奉行(国家老)を務めた柴田宗意

寛文10年(1670年10月19日、足軽頭を務めた350石取りの平士・伊藤三右衛門輔氏の婿養子となり、伊藤姓となる。婿養子縁組と同時に、実父・朝意から知行150石の分知を受ける。

寛文11年(1671年3月27日、実父・朝意が、江戸大老酒井忠清邸において、寛文事件(伊達騒動)に絡む刃傷沙汰に巻き込まれ死亡する。

寛文12年(1672年)2月、義父の伊藤三右衛門輔氏が亡くなる。家督相続により知行500石となる。同年4月、江戸番に任ぜられる。

以後は次の役職に就任する。延宝9年(1681年5月19日、足軽頭。元禄4年(1691年4月21日作事奉行。元禄6年(1693年2月29日、江戸番組頭。元禄11年(1698年10月23日、武頭。

人物

[編集]

父が長宗我部元親の孫にあたる柴田朝意、母が同じく元親の孫にあたる人物とされ、氏親は両親から元親の血を受け継いでいる。

系譜

[編集]
  • 曾祖父:長宗我部元親
  • 祖母:阿古姫(長宗我部元親の三女)
  • 父:柴田朝意(阿古姫の次男、旧名・賀江忠次郎)
    • 異母兄:柴田宗意
    • 異母弟:真山輔義
  • 母:朝意継室、長宗我部元親の四女と吉松主膳正澄の娘
    • 同母姉:りん(奥山常信室)
  • 義曾祖父:伊藤肥後信氏(元葛西家家臣)
  • 義祖父:伊藤三右衛門氏定
  • 義父:伊藤三右衛門輔氏(幼名・満蔵)
  • 妻:伊藤三右衛門輔氏の娘
    • 嫡男:伊藤三右衛門氏信(幼名・八郎氏久または氏保)

氏親が婿養子入りした伊藤家は、元葛西家家臣。慶長年間、伊藤肥後信氏の代に片倉小十郎景綱の仲介で伊達家に仕え、知行200石を支給された。葛西家配下の伊藤家は、桃生郡鹿又石巻市河南町)、登米郡楼台(登米市東和町)に居住したが、信氏がどちらの系統の伊藤家かは不明である。

参考文献

[編集]
  • 相原陽三 編『元禄補遺仙台藩家臣録』今野印刷、1995年
  • 齋藤鋭雄『仙台藩役職任免一覧(Ⅱ)』宮城県農業短期大学学術報告第27号別冊、1979年
  • 齋藤鋭雄『仙台藩役職任免一覧(Ⅳ)』宮城県農業短期大学学術報告第29号別冊、1981年
  • 柴田町史編さん委員会 編『柴田町史 通史篇Ⅱ』柴田町、1989年
  • 田辺希文、田辺希元、田辺希績『伊達世臣家譜』
  • 宮城県姓氏家系大事典編纂委員会 編著『角川日本姓氏人物大事典4 宮城県姓氏家系大事典』角川書店、1994年

伊藤氏親を扱った作品

[編集]

伊藤真康『縁 或る武家のものがたり』(幻冬舎、2024年)ISBN 978-4-344-69000-4