伊藤忠三
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伊藤 忠三(いとう ちゅうぞう、1871年3月5日(明治4年1月15日)[1] - 1937年(昭和12年)5月18日)は、日本の実業家。伊藤本店店主代理、伊藤忠商店社長、丸紅商店会長などを歴任した。
人物
[編集]滋賀県出身。山本富蔵の子として生まれる[1]。1886年に伊藤本店に入店[2]。伊藤忠兵衛の養子となり[3]、1898年に一家を創立した[4]。
1903年伊藤本店店主代理、近江銀行取締役。1906年松山紡績取締役。1908年伊藤忠兵衛本部主管(京店、染工場)。1909年共益社監査役。1914年伊藤忠業務執行社員。1918年伊藤忠商店社長、伊藤忠商事取締役[2]。
1919年日本麻糸社長[5]。1921年丸紅商店副社長[2]、若林製糸場取締役。1924年帝国製麻監査役。1931年丸紅商店会長[5]。1935年大町紡績取締役[2]。1936年帝国製麻取締役、京都織物卸問屋同業組合長[5]。
親族
[編集]伊藤忠創業者の伊藤忠兵衛は養父で、妻のこうは伊藤忠兵衛の次女。大建木材工業社長を務めた伊藤謙三は子で、三興線材工業社長を務めた伊藤茂八郎は婿養子[4]。
脚注
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