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伊藤修司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤 修司(いとう しゅうじ、1930年2月22日 - 2006年1月[1] )は兵庫県出身のJRA騎手、元調教師

父は伊藤勝吉調教師。上野清章(旧姓・伊藤)騎手は元・娘婿だった(娘の離婚を機に清章を勘当し以後絶縁)。

来歴

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1946年、阪神商業高等学校卒業後、尾形藤吉厩舎に騎手見習として入門[2]1948年に騎手免許を取得[1]1953年からは父親の厩舎で騎手として活躍し、1961年チトセホープ優駿牝馬(オークス)を勝ち[1]、連闘で臨んだ東京優駿競走で3着に入るなど活躍した。父の急死により1963年に引退、通算成績は981戦197勝であった。

1964年に調教師免許を取得し[1]、同年より京都競馬場で厩舎を開業する。1965年にハツライオーで札幌記念を勝ち重賞初制覇[1]、以後1991年まで、27年連続JRA重賞勝利という記録を達成している[3]。名ジャンパーグランドマーチスや、華麗なる一族と呼ばれたハギノトップレディハギノカムイオー武豊に初めてのGI勝利(菊花賞)をもたらしたスーパークリークなど、数多くのGI馬を育成した。2000年に定年を迎えて調教師を引退、調教師としての通算成績は9138戦1223勝(重賞83勝)。

2006年1月末に死去。訃報が伝えられたのは同年5月のことであった[1]

代表騎乗馬

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代表管理馬

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主な厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

脚注

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  1. ^ a b c d e f スーパークリークの伊藤修司元調教師が死去”. netkeiba.com. 2015年7月12日閲覧。
  2. ^ 『優駿』2010年9月号、121-122頁。 
  3. ^ 競馬ブック 1999年2月8日 ニュースぷらざ

関連項目

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