伊手村
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いでむら 伊手村 | |
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廃止日 | 1955年2月10日 |
廃止理由 |
新設合併 伊手村、岩谷堂町、稲瀬村、愛宕村、田原村、玉里村、広瀬村、藤里村、梁川村、米里村 → 江刺町 |
現在の自治体 | 奥州市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 江刺郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 48.98 km2 |
総人口 |
5,061人 (『岩手県町村合併誌』、1954年12月) |
隣接自治体 |
江刺郡:田原村、藤里村、玉里村、米里村 東磐井郡:興田村 |
伊手村役場 | |
所在地 | 岩手県江刺郡伊手村字町裏200-2 |
座標 | 北緯39度10分55秒 東経141度18分25秒 / 北緯39.18183度 東経141.30706度座標: 北緯39度10分55秒 東経141度18分25秒 / 北緯39.18183度 東経141.30706度 |
ウィキプロジェクト |
伊手村(いでむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県江刺郡にあった村。現在の奥州市江刺伊手にあたる。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、旧来の伊手村単独で村制施行。
- 昭和30年(1955年)2月10日 - 岩谷堂町・稲瀬村・愛宕村・田原村・玉里村・広瀬村・藤里村・梁川村・米里村と合併し、江刺町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1〜2 | 佐川儀作 | 明治22年(1889年)4月 | ||
3 | 佐川仁三郎 | 明治29年(1896年)7月 | ||
4 | 佐藤大作 | 明治32年(1899年)8月 | ||
5 | 菅野宇佐美 | 明治33年(1900年)9月 | ||
6 | 佐藤大作 | 明治34年(1901年)4月13日 | 明治36年(1903年)12月26日 | 再任 |
7 | 高橋虎太郎 | 明治37年(1904年)1月27日 | 明治38年(1905年)4月13日 | |
8 | 渡辺儀三郎 | 明治38年(1905年)4月 | 明治40年(1907年)2月11日 | |
9 | 佐藤久治郎 | 明治40年(1907年)2月13日 | 明治40年(1907年)6月11日 | |
10 | 高橋虎太郎 | 明治40年(1907年)7月11日 | 明治44年(1911年)7月10日 | 再任 |
11 | 佐藤大作 | 明治44年(1911年)8月9日 | 大正2年(1913年)1月13日 | 三任 |
12 | 菅野宇佐美 | 大正2年(1913年)2月13日 | 大正3年(1914年)4月4日 | 再任 |
13 | 高橋源之助 | 大正3年(1914年)6月19日 | 大正7年(1918年)6月8日 | |
14〜16 | 境田寅之助 | 大正7年(1918年)6月19日 | 大正15年(1926年)9月19日 | |
17 | 勝山熊治郎 | 大正15年(1926年)10月22日 | 大正5年(1930年)10月21日 | |
18 | 和川伊織 | 昭和5年(1930年)10月22日 | 昭和9年(1934年)10月21日 | |
19 | 亀井竹治 | 昭和9年(1934年)10月22日 | 昭和12年(1937年)3月26日 | |
20 | 及川多門 | 昭和12年(1937年)4月5日 | 昭和15年(1940年)2月19日 | |
21 | 佐藤佐 | 昭和15年(1940年)3月5日 | 昭和18年(1943年)2月22日 | |
22 | 男沢敬章 | 昭和18年(1943年)6月18日 | 昭和21年(1946年)9月 | |
23〜24 | 亀井清見 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和30年(1955年)2月9日 |
参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)