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伊号第百七十一潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊号第百七十一潜水艦
1943年6月、幌筵沖に停泊する伊171と平安丸日本郵船、11,614トン)
基本情報
建造所 川崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 一等潜水艦
級名 伊百六十八型潜水艦
建造費 6,425,800円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 昭和6年度計画(第一次補充計画
起工 1933年2月15日
進水 1934年8月25日
竣工 1935年12月24日(伊号第七十一潜水艦)
最期 1944年2月1日戦没
除籍 1944年4月30日
要目
基準排水量 1,400トン
常備排水量 1,785トン
水中排水量 2,440トン
全長 104.70m
最大幅 8.20m
吃水 4.58m
機関 艦本式1号甲8型ディーゼルx2基
推進 2軸
出力 水上:9,000馬力
水中:1,800馬力
速力 水上:23.0ノット
水中:8.2ノット
燃料 重油341トン
航続距離 水上:10ktで14,000海里
水中:3ktで65海里
潜航深度 安全潜航深度:75m
乗員 68名
兵装 45口径十一年式12cm単装砲x1門
九三式13mm機銃x1挺
九二式7.7mm機銃x1挺
八八式53cm魚雷発射管x6門(艦首4門、艦尾2門)/魚雷x14本
搭載機 なし
ソナー MV式水中聴音機
九一式探信儀
電池:2号3型x236個
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伊号第百七十一潜水艦(いごうだいひゃくななじゅういちせんすいかん)は、日本海軍潜水艦伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の4番艦。竣工時の艦名は伊号第七十一潜水艦(いごうだいななじゅういちせんすいかん)。

艦歴

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撃沈総数1隻、撃沈トン数622トン。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』434-435頁及び『官報』による。

艤装員長

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  • 水口兵衛 少佐:1935年2月15日[7] -

艦長

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  • 水口兵衛 中佐:1935年12月24日 - 1936年6月30日[8]
  • 永井宏明 少佐:1936年6月30日 - 1937年7月31日[9]
  • 小泉騏一 少佐:1937年7月31日 - 1938年3月19日[10]
  • 楢原省吾 少佐:1938年3月19日 - 1938年7月30日
  • 堀武雄 少佐:1938年7月30日 - 1941年7月31日[11]
  • 川崎睦郎 少佐:1941年7月31日 -
  • 小林茂男 少佐:1942年7月5日 -
  • 島田武夫 少佐:1943年8月30日 - 1944年2月1日戦死

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』73頁。
  2. ^ a b c d e 『艦長たちの軍艦史』434-435頁。
  3. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  4. ^ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁
  5. ^ 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』111頁。
  6. ^ 『日本海軍史』第7巻、357頁。
  7. ^ 『官報』第2435号、昭和10年2月16日。
  8. ^ 『官報』第2848号、昭和11年7月1日。
  9. ^ 海軍辞令公報 号外 第15号 昭和12年7月31日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100 
  10. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第152号 昭和13年3月19日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500 
  11. ^ 海軍辞令公報(部内限)第681号 昭和16年7月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集19巻』潜水艦伊号、光人社、1997年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9