中村実宗
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(伊佐実宗から転送)
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 藤原実宗→伊佐実宗→中村実宗 |
別名 | 常陸介実宗、藤原実宗、伊佐実宗 |
官位 | 従四位下、常陸介、能登守[1] |
主君 | 鳥羽天皇 |
氏族 | 藤原北家山蔭流中村氏 |
父母 | 父:藤原定任 |
兄弟 | 実宗、章家、覚暹、頼緑、範緑、廉慶 |
子 | 季孝、女子、女子、女子(菅野景之室)[2] |
特記 事項 | 中村氏や伊佐氏の祖 |
中村 実宗(なかむら さねむね、旧字体:中村 實宗)は、平安時代後期の人物。藤原北家山蔭流、式部少輔[3]・藤原定任の子。官位は従四位下・常陸介・能登守。中村氏や伊佐氏の祖。
経歴
[編集]康和2年(1100年)、陸奥守兼鎮守府将軍に任じられる[2]。嘉承2年(1107年)8月、堀河天皇崩御に際し、香隆寺・興福寺での法要の使節を務める[4][5]。
天永2年(1111年)に常陸介に任命され、常陸国の伊佐荘に伊佐城を築き、伊佐実宗と称する[6]。朝廷より常陸国に対し臨時の課税を命じられたが、実宗は赴任早々でもあり、国内が疲弊して税を支払うことが出来ず、大蔵卿の大江匡房に免除を願い出、匡房はその願いを受容れ、遠江に税を課した[7]。
永久元年(1113年)実宗は鹿島神宮の造営に貢献する[7][8]。武蔵の横山党の乱を追討して功をあげ、その後実宗は真壁郡中村に居住し中村を氏とし、中村実宗と称した[7][2]。
系譜
[編集]出典・脚注
[編集]参考史料
[編集]参考文献
[編集]- 伊達氏誕生 松浦丹次郎(土龍舎、1982年)