伊丹国扶
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 享禄4年6月4日(1531年7月27日) |
改名 | 雅扶→国扶 |
官位 | 兵庫助(受領名) |
主君 | 細川高国 |
氏族 | 伊丹氏 |
父母 | 父:伊丹元扶? |
兄弟 | 国扶、康直? |
伊丹 国扶(いたみ くにすけ)は、戦国時代の武将。室町幕府の管領家・細川京兆家の家臣。伊丹氏の当主。摂津国伊丹城主。
略歴
[編集]父は伊丹元扶とされる[1]。通称は兵庫助。初名は雅扶(まさすけ)、のち摂津守護を兼ねる管領の細川高国より偏諱(「国」の字)を賜り、国扶と改名[2][3]。
国扶は父と同じく細川高国の武将として仕え、永正17年(1520年)に細川澄元や三好之長らが摂津越水城を攻めると、その後詰を行なっている。
元扶の死後も高国方の有力武将として仕えたが、享禄4年(1531年)6月4日、高国が細川晴元(澄元の子)や三好元長(之長の孫)との決戦(大物崩れ)に敗れた際に討ち死にしたという。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 戦国人名事典(人物往来社)