佐世保玉屋
佐世保玉屋本社 | |
種類 | 株式会社[1] |
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略称 | 玉屋、タマヤ |
本社所在地 |
日本 〒857-8588 長崎県佐世保市栄町2番1号[1] 北緯33度10分20秒 東経129度43分11秒 / 北緯33.17222度 東経129.71972度座標: 北緯33度10分20秒 東経129度43分11秒 / 北緯33.17222度 東経129.71972度 |
設立 | 1918年(大正7年)10月30日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 7310001005316 |
事業内容 | 百貨店業 |
代表者 | |
資本金 | 8,764万円 |
売上高 | 66億円 |
純利益 |
▲2億2543万4000円 (2022年2月期)[2] |
総資産 |
73億5994万円 (2022年2月期)[2] |
従業員数 | 322人 |
決算期 | 毎年2月末日 |
主要子会社 | マルタマストア |
外部リンク | http://www.sasebo-tamaya.co.jp/ |
株式会社佐世保玉屋(させぼたまや、英称:Sasebo Tamaya Department Store Inc.)は、長崎県佐世保市に店舗を置く百貨店。佐賀市の佐賀玉屋は、ルーツを同じくする玉屋グループの兄弟会社である。
かつては長崎市に長崎玉屋を営業していたが、店舗老朽化と地域全体の再開発計画のため、2014年(平成26年)2月で閉店させ[3]、仮店舗による営業に移行した。
また子会社の株式会社伊万里玉屋(いまりたまや)が佐賀県伊万里市で百貨店を営業していたが、2016年(平成28年)1月31日をもって閉店[4]。
1981年(昭和56年)以前に建てられた病院やデパートなど不特定多数が利用する施設のうち、"一定の基準を超えるもの"については法律で耐震診断結果の報告が義務付けられており、それをもとに佐世保市は耐震診断の実施を命令していた。しかしそれを無視し営業を続けていたため、佐世保市が「2023年(令和5年)5月31日までに工事に着手しない場合は、耐震診断結果を報告せよ」との3度目の命令を出した[5]。
2024年(令和6年)3月には同年7月末をもって閉店し、2028年(令和10年)に新設に移行することが一部のメディアで報道されていたが[6]、同年5月に佐世保玉屋が「ご案内」と題した店内掲示を行い、報道されていた閉店の事実を否定。規模を縮小しながら営業を継続する方針を明らかにしており、同年9月にはワンフロアへ縮小。さらに、同年9月30日を以ってジョイフルサンも閉店となり、自主店舗などが残るのみとなっている[7]。
沿革
[編集]- 1806年(文化3年) 田中丸善吉が、肥前国小城郡牛津村(現・佐賀県小城市牛津町牛津)西町に荒物店「田中丸商店」として創業[1]。
- 1894年(明治27年) 日清戦争を機として佐世保市松浦町に進出。
- 1911年(明治44年) 田中丸合名会社(資本金20万円)設立。
- 1918年(大正7年)10月30日 「株式会社田中丸呉服店」に改組し、百貨店を開業[1]。
- 1920年(大正9年) 佐世保市栄町に鉄筋4階建てで開業。その後田中丸一族が分かれて、福岡市や佐賀市、小倉市(現・北九州市小倉北区)にも会社を作り進出。
- 1925年(大正14年) 佐世保で初めてのラジオが、食堂に設置される。
- 1928年(昭和3年) 座売販売から土間式販売へ移行。
- 1929年(昭和4年) マネキンガールを大阪から招く。
- 1931年(昭和6年) 商号を玉屋へ改称。同年、1~5階までのエレベーターを新設。
- 1935年(昭和10年) 女性店員制服洋装制定。モガ(モダンガール)で話題を集める。
- 1939年(昭和14年) 国防献金として軍用機3機(玉屋報国号)を献納。
- 1941年(昭和16年) 株式会社佐世保玉屋へ改称[1]。
- 1942年(昭和17年) 福岡玉屋が香港店開業[8]。
- 1943年(昭和18年) 戦時体制のため、販売業務を縮小、一部が海軍および海軍工廠関係の使用する所となる。
- 1948年(昭和23年) 大水害、1階が浸水。
- 1950年(昭和25年) レストラン・タマヤ開店(佐世保駐留の国連軍対象のレストランとしてオープン)。
- 1959年(昭和34年)6月2日 西彼杵郡外海町にスーパーマーケット形式の「長崎マルタマストアー池島店」を開業[9]。
- 1963年(昭和38年)11月11日 長崎市にスーパーマーケット形式の「長崎マルタマストアー新地店」を開業[9]。
- 1965年(昭和40年)3月12日 長崎市にスーパーマーケット形式の「長崎マルタマストアー住吉店」を開業[9]。
- 1966年(昭和41年) 伊万里市に子会社を作り、「伊万里玉屋」を開業[1]。
- 1969年(昭和44年)5月23日 長崎市新大工町に「長崎玉屋」を開業[10]。
- 1973年(昭和48年) 佐世保市高天町に「玉屋家具サロン」を開業[1](1991年、LIVING MUSEUM LIM(リビングミュージアム・リム)へ改称)。
- 1978年(昭和53年) 長崎市のベッドタウンとして発展する諫早市西諫早ニュータウンに「諫早玉屋」を開業[1](2006年閉店)。
- 1980年(昭和55年)
- 1987年(昭和62年) 百貨店開業70周年記念として、佐世保市へ1,000万円寄贈(市は玉屋文化体育振興基金設立)。
- 2006年(平成18年) 玉屋創業200周年を迎える。
- 2009年(平成21年) 田中丸弘子が社長に就任。
- 2014年(平成26年)2月 「長崎玉屋」が閉店[3]。
- 2016年(平成28年)1月31日 「伊万里玉屋」が閉店[4]。
- 2020年(令和2年)10月1日 売場を1階から3階に縮小。
- 2022年(令和4年)11月19日「長崎玉屋」が新大工町ファンスクエア内に復活[12]。
店舗
[編集]佐世保玉屋
[編集]所在地:長崎県佐世保市栄町2番1号
フロアガイドなどは佐世保玉屋フロアガイドを参照。
2024年1月現在地上1階から2階までを営業フロアとしている。
食品は1階で販売しており、また屋上遊園地がある(2022年(令和4年)現在閉鎖中)[13]。
1階にある「ラビアンローズ」で販売されているサンドイッチは度々メディアでも紹介されるほどの人気商品で佐世保市民からも支持されている。[14]
また同じ玉屋グループであった福岡玉屋が撤退した福岡市においては、「タマヤサンドの店 ラビアンローズ」が同市中央区浄水通に出店しており、サンドイッチやケーキを販売している。
閉店した店舗
[編集]過去には長崎玉屋のほか、大村市にギフトサロンを運営していた。
長崎玉屋(佐世保玉屋・長崎支店)
[編集]長崎玉屋 | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒850-0017[15] 長崎県長崎市新大工町5番35号[15] |
座標 | 北緯32度45分9秒 東経129度53分11秒 / 北緯32.75250度 東経129.88639度 |
開業日 | 1969年(昭和44年)5月23日[10] |
閉業日 | 2014年(平成26年)2月[3] |
建物名称 | 長崎玉屋,長崎市新大工町市場[15] |
施設所有者 | 玉屋不動産 |
延床面積 | 16,769 m²[15] |
商業施設面積 | 10,482 m²[15] |
中核店舗 | 佐世保玉屋:8,932m2[15] |
RF | 屋上 展望施設・ペットコーナー・祐徳稲荷分社・社旗掲揚台 |
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7F | 茶室のフロア 玉屋茶室「玉昇庵」・店舗事務所 |
6F | 催事のフロア 玉屋ファミリーレストラン、喫茶ローゼ、催事場、玉屋ホール |
5F | 閉鎖 |
4F | フィットネスクラブ カーブス(フィットネスクラブ) |
3F | 婦人服・紳士服・呉服・寝装具・リビングのフロア 婦人服(フォーマル、レリアンなど)、呉服、紳士服、眼鏡、補聴器、時計、宝石、タオル、寝装具、健康・介護用品、リフォームコーナー、お客様サロン |
2F | 婦人服と婦人雑貨銘店・家庭用品のフロア 化粧品、靴、バッグ、婦人雑貨、生活雑貨、ダイニング、食器、陶磁器、婦人服(カジュアル)、HAVE A NICE TRIP |
1F | 食品のフロア 総合案内所、食品、酒、銘店、生活雑貨、コダマ健康食品、新大工市場商店街(食品専門店32店舗) |
1階は新大工市場と一体になっていた。そのためか1階に関しては、百貨店というよりスーパーマーケットの雰囲気に近かった。
佐世保玉屋はホームページが存在するが、長崎玉屋に関してはイベント情報のみで、サービス案内やフロアガイドは紹介されていなかった。
正式名称は、「佐世保玉屋 長崎支店」だが、「長崎玉屋」の呼称が多く用いられた。
長崎マルタマストアー
[編集]- 売場面積1,035m2[9]。
- 売場面積1,785m2[9]。
- 売場面積1,277m2[16]。
- 売場面積964m2[9]。
かつては福岡県内において福岡玉屋の子会社運営による「マルタマ」も存在したが、寿屋の設立した「寿屋マルタマ」に1976年(昭和51年)11月に経営譲渡されている[20]。
長崎玉屋閉店後は1階売り場を仮店舗として利用した新大工店が2015年1月から2016年8月まで営業していた。
関連事業
[編集]玉屋グループの旗艦店が消滅した福岡県内の穴を埋める事業は佐賀玉屋とも“連携”して行っているが、佐世保玉屋ではアミュプラザ博多に乳幼児・子供用の服を扱った「Little House」のテナントを開設している。
「オレンジライフ」の経営再建に際し阪急キッチンエールと提携、「玉屋キッチンエール」の名で長崎・佐世保における事業をフランチャイジーとして展開する。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), p. 31
- ^ a b 株式会社佐世保玉屋 第69期決算公告
- ^ a b c 八尋紀子 (2014年6月25日). “再開発、年内に計画書 「長崎玉屋」一帯の地権者 時代に合う施設、目標”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 長崎版
- ^ a b 菅原普 (2016年2月1日). “伊万里玉屋が閉店 50年の歴史に幕 惜しむ客、県内外から”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 佐賀全県版
- ^ [1] 佐世保市
- ^ “佐世保玉屋、7月末に閉店 28年に新施設完成へ”. 日本経済新聞社 (2024年3月1日). 2024年6月15日閲覧。
- ^ “ジョイフルサン佐世保玉屋店、2024年9月30日閉店-食品売場の大部分閉鎖、1階の一部のみ営業でサンドイッチなど販売継続へ”. 都商研ニュース (2024年7月17日). 2024年10月26日閲覧。
- ^ 川端基夫. “戦前・戦中期における百貨店の海外進出とその要因”. 龍谷大学経営学論集Vol.49 No.1 (龍谷大学) (2009-06): 1-22.
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp280
- ^ a b “創立30周年特別企画 会員百貨店のあゆみから(その11)九州(Ⅱ)”. 日本百貨店協会会報 1978年9月号 (日本百貨店協会) (1978年9月).pp44
- ^ a b 流通会社年鑑 1981年版, 日本経済新聞社, (1980-11-17), p. 46
- ^ 複合施設「新大工町ファンスクエア」竣工 再開発事業、11月に開業 長崎 長崎新聞.2022年10月23日閲覧。
- ^ 佐世保に現存した天空の楽園 デイリーポータルZ:@nifty
- ^ 長崎新聞 (2021年3月3日). “玉屋のサンドイッチがグランプリ 佐世保「一店逸品コンテスト」 変わらぬ味“評価” | 長崎新聞”. 長崎新聞. 2021年10月22日閲覧。
- ^ a b c d e f 週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版, 東洋経済新報社, (2009), p. 1786
- ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp347
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1968年版』 商業界、1968年。pp400
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp590
- ^ “マルタマ住吉店 54年の歴史に幕 8月末”. 長崎新聞 (2019年8月21日). 2023年5月16日閲覧。
- ^ 柳孝一 “進む流通業界の“第二次編成" 連邦経営の可能性を探る”. マネジメント 1977年2月号 (日本能率協会) (1977年2月).pp78
関連項目
[編集]- 佐賀玉屋
- 福岡玉屋
- 小倉玉屋
- 博多リバレイン - 当初は福岡玉屋をこの再開発ビルに移転する計画であった。
- リバーウォーク北九州 - 小倉玉屋敷地を含む一帯を再開発。当初はこの再開発ビルに入居する計画であった。
- 佐世保初売り