任忠彬
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任忠彬 | |
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陸軍参謀総長交代式における任忠彬(2009年9月21日) | |
生誕 |
1950年5月12日 韓国 忠清南道天安郡(現在の天安市) |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
軍歴 | 1973 - 2009 |
最終階級 | 大将 |
除隊後 |
忠南大学校客員教授 平和安保大学院講師 未来国防フォーラム議長 大韓民国星友会政策諮問委員[1] |
任忠彬 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 임충빈 |
漢字: | 任忠彬 |
発音: | イム・チュンビン |
日本語読み: | にん ちゅうひん |
ローマ字: | IM CHUNG-BIN |
任 忠彬(イム・チュンビン、朝鮮語: 임충빈、1950年5月12日 - )は大韓民国の軍人、教育者。陸士29期。最終階級は陸軍大将。第39代陸軍本部参謀総長。
予備役編入後、忠南大学校客員教授、平和安保大学院講師などを務めている。
人物
[編集]忠清南道天安郡(現在の天安市)に生まれる。1968年、城南高校を卒業後陸軍士官学校に入学。
陸士卒業後は主に捜索部隊での職を歴任し、中将進級と同時に陸軍第1軍団軍団長に就任。開城工業団地送電線の建設や地雷除去を支援した。韓国陸軍士官学校校長を経て第38代大韓民国陸軍参謀総長に就任。陸士校長から直接陸軍参謀総長への大抜擢は初のケースであった。
敬虔な仏教徒としても知られ、国軍仏教総信徒諮問委員もつとめた[2]。退官式も鷄龍台護国寺で行われた。
予備役編入後、忠南大学校客員教授、平和安保大学院「軍事戦略」科目の講義を担当し[3]、未来国防フォーラム議長を務めている[4]。
人物像
[編集]部下に激励の手紙を送り意見を聞いて回るなど、几帳面且つ温厚篤実な性格で知られ、「徳将」との呼び声が高かった[5]。
年譜
[編集]- 1973年 - 陸軍士官学校第15歩兵師団38連隊 捜索中隊小隊長(~74年)
- 1977年 - 第1歩兵師団12連隊 第10中隊長(~78年)
- 1984年 - 第8機械化歩兵師団 捜索大隊長
- 1985年 - 東国大学校行政大学院行政修士
- 1986年 - 第3歩兵師団作戦参謀(~88年)
- 1992年 - 第32歩兵師団98連隊長
- 1994年 - 国防部 政策調整課長
- 1998年4月 - 大統領秘書国防秘書官(~2000年10月)
- 2000年11月 - 第17歩兵師団師団長(~2002年10月)
- 2003年5月 - 陸軍教育司令部教育訓練省部長
- 2004年10月15日 - 中将、陸軍第1軍団軍団長
- 2006年12月5日 - 陸軍士官学校校長(~2008年3月19日)
- 2008年3月21日 - 陸軍本部参謀総長
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 大韓民国星友会
- ^ a b “今年仏教徒大賞 尹元昊・任忠彬・金泰均さん(올해 불자대상 윤원호·임충빈·김태균 씨)”. 仏教フォーカス. (2009年4月23日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ “前陸参総長、毎年顕忠院に来る理由は 任忠彬元陸軍参謀総長、除隊後、数年間顕忠院で無料給食ボランティア(전 육참총장, 매년 현충원에 오는 이유는임충빈 전 육군참모총장, 전역 후 수년째 현충원서 무료급식 봉사)”. 世宗の音. (2014年6月6日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ “ジョンホンヨンADD所長、17年前の車に乗るか?(정홍용 ADD 소장, 17년전 자동차 탈래요?)”. グローバル・ディフェンス・ニュース. (2015年5月7日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ イムチュンビン陸軍参謀総長、陸軍士官学校校長が総長に直行した初めての事例(임충빈 육군참모총장육사 교장이 총장으로 직행한 첫 사례)
軍職 | ||
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先代 朴興烈 |
大韓民国陸軍参謀総長 第38代:2008.3.21 - 2009.9.21 |
次代 韓民求 |
先代 金善洪 |
韓国陸軍士官学校校長 第45代:2006.12.5 - 2008.3.19 |
次代 キム・ヒョンソク |
先代 金善洪 |
陸軍第1軍団軍団長 第43代:2004.10 - 2006.12.5 |
次代 章光一 |
先代 ? |
第17歩兵師団師団長 第?代:2000.11 - 2002.10 |
次代 ? |