仲里繁
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基本情報 | |
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本名 | 仲里 繁 |
階級 | スーパーバンタム級 |
身長 | 164cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1972年6月13日(52歳) |
出身地 | 沖縄県宜野湾市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 33 |
勝ち | 24 |
KO勝ち | 18 |
敗け | 8 |
引き分け | 1 |
仲里 繁(なかざと しげる、男性、1972年6月13日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県宜野湾市出身。右ファイター。元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。2005年10月21日に引退。宜野湾高校卒業。長男の周磨もプロボクサー[1]。
戦績
[編集]- 1994年12月18日、沖縄ワールドリングボクシングジム所属でプロデビュー。和田英嗣を相手に1RKO勝ちを収めた。
- 1995年5月14日、橋本貴幸に3RKO負けで初黒星を喫した。
- 1996年12月9日、西日本新人王決勝戦で延山丈二に6RKO勝ちし、西日本バンタム級新人王を獲得。
- 1997年2月15日、東西新人王対抗戦で渡辺純一に6R判定勝ちし、全日本バンタム級新人王を獲得。
- 1999年2月22日、元世界2階級王者ムアンチャイ・キティカセムと対戦し、4RTKO勝ちを収めた。
- 1999年4月24日、日本バンタム級王者西岡利晃に挑戦し8RTKO負け。王座獲得ならず。
- 2000年10月18日、日本バンタム級王者仲宣明に挑戦し10R判定負け。王座獲得ならず。
- 2002年5月18日、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座決定戦で趙龍仁に3RTKO勝ち。30歳で初王座獲得。同王座は1度防衛後に返上。ボクシングの2002年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会でKO賞に選出された。
- 2003年4月26日、オスカー・ラリオスのWBC世界スーパーバンタム級王座に挑戦。序盤に2度のダウンを奪われたものの、その後は持ち前の馬力で試合を押し返し、8R2分45秒には左フックでラリオスの顎を骨折させる。しかし、ダウンによる失点が響いて12R判定負け。世界王座獲得ならず。この試合は、WBCの年間最高試合賞を獲得し[2]、2003年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会でも同賞に選出された。また、仲里は後者では敢闘賞にも選出された。
- 2004年3月6日、オスカー・ラリオスの世界王座に再挑戦。今回も互角の打ち合いを見せるが、後半はラリオスがポイント収集に徹底し、12R判定負けを喫した。
- 2004年10月30日、当時無敗の世界ランカー木村章司と、世界王座挑戦権をかけて対戦。10R判定の結果、引き分ける。
- 2005年4月29日、フランスでWBA世界スーパーバンタム級王者のマヤル・モンシプールに挑戦。1Rから壮絶な打撃戦となったが、6RTKO負けで敗れ世界王座獲得ならず[3][4]。しかし、仲里の勇敢なファイトに、敵地フランスの観客からも、敗者仲里に大きな声援が送られた。この試合を最後に引退。
- 2007年6月15日、郷里の沖縄県宜野湾市にボクシングクラブ・ナカザトを開設し後進の育成を行っている。
獲得タイトル
[編集]- 西日本バンタム級新人王戦優勝
- 全日本バンタム級新人王戦優勝
- 第28代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座(防衛1=返上)
脚注
[編集]- ^ 元OPBF王者の仲里繁さん 沖縄で初の自主興行 2.9糸満 メインは長男の仲里周磨 Boxing News(ボクシングニュース)2020年2月3日
- ^ “仲里、奮闘及ばず判定負け WBCSバンタム級タイトル戦”. スポーツナビ (2004年3月6日). 2012年7月24日閲覧。
- ^ 仲里6回TKO負け ボクシング世界王者戦 琉球新報 2005年4月30日
- ^ [SCORE CARD]三度目の正直ならず、惜しくも散った仲里繁。 Number Web 2005年5月26日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 仲里繁ファンクラブ
- ボクシングクラブ・ナカザト - ウェイバックマシン(2008年5月13日アーカイブ分)
- 仲里繁の戦績 - BoxRec
前王者 趙龍仁 |
第28代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者 2002年5月18日 - 2003年3月7日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 福島学 |