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仲道斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

仲 道斎(ちゅう どうさい、享保7年(1722年) - 寛政元年11月18日1790年1月3日))は江戸時代中期の漢学者阿波国出身。諱は和、字は文平。「仲」は田中の修姓で、京都時代は「中」字を用いた[1]

概要

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生家関家は200石の土佐藩士だったが、祖父は致仕して阿波国阿波郡林村阿波市阿波町)に移り、父が徳島城外斎田(徳島市昭和地区)に移った[2]

道斎は享保7年(1722年)阿波国に生まれ、故あって母方の田中家を継いだ[2]古文辞学に傾倒し、元文2年(1737年)京都に上って寺町通錦小路了蓮寺の僧無相文雄音韻学を学び、私塾を開いた[1]。また、長崎にも留学して唐音を学んだ[1]

当初王世貞李攀竜等を学んだが、後に不自然な擬古文として批判し、韓愈柳宗元等を模範とした[3]。尺牘は袁宏道を模範とした[4]。茶、甘藷を好み[5]、酒、音楽を嫌った[6]。篆刻に長じた[7]

脚気マラリア等を患うなど元来病弱で、宝暦8年(1758年)頃肺疾のため徳島に帰郷し[8]寛政元年(1789年)11月18日病没した[9]。墓碑は南佐古三番町清水寺後山墓地にあり、墓石はない[10]

妻光は喜多野家出身で、文化元年(1804年)没[9]。子は僧となった霊真のほか、二女がいた[9]

著書

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刊本

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  • 宝暦5年(1755年)3月 『尺牘称謂弁』 - 書簡用語集及び作成手引書[11]
  • 宝暦6年(1756年)5月 『弇州尺牘紀要』 - 弇州山人王世貞尺牘集の注釈[11]
  • 宝暦6年(1756年)5月 『道斎尺牘附雑文』 - 知人37名宛書簡及び雑文集[12]
  • 宝暦7年(1757年)7月 『道斎先生承諭編』 - 金田宏の質問に対する返書集。なお、「承諭」は他人の書簡に対する敬称[13]
  • 宝暦5年(1755年)秋? 『道斎随筆』 - 漢字の形音義に関する入門書。著書中最も普及した[14]
  • 天明6年(1786年)9月 『古文孝経解』 - 太宰春台刊『古文孝経』 の注釈[15]

現存写本

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  • 『唐文式』 - 柳宗元『柳河東集』「序」類の注釈、総評[15]
  • 『邇言考』 - 俗語、俗諺約920語の語源、典拠研究[16]

佚書刊本

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佚書未刊

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門人

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  • 金田白峰 - 名は宏、字は君道、義房。京都で道斎を世話した商家の子[13]
  • 中田謙斎 - 名は敏、字は仲求、通称は長右衛門。洲本学問所教官[15]
  • 藤江石亭 - 名は秀、字は子文、通称は斧助。洲本学問所教官[9]

脚注

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  1. ^ a b c 竹治 1984, p. 2.
  2. ^ a b 竹治 1984, pp. 1–2.
  3. ^ 竹治 1984, pp. 10–11.
  4. ^ 竹治 1984, p. 12.
  5. ^ 竹治 1984, p. 22.
  6. ^ 竹治 1984, p. 4.
  7. ^ a b c d 竹治 1984, p. 20.
  8. ^ 竹治 1984, p. 3.
  9. ^ a b c d 竹治 1984, p. 5.
  10. ^ 竹治 1984, p. 1.
  11. ^ a b 竹治 1984, p. 7.
  12. ^ 竹治 1984, pp. 8–9.
  13. ^ a b 竹治 1984, pp. 9–10.
  14. ^ 竹治 1984, p. 13.
  15. ^ a b c 竹治 1984, p. 17.
  16. ^ 竹治 1984, p. 18.
  17. ^ a b c d e 竹治 1984, p. 21.
  18. ^ 竹治 1984, p. 11.

参考文献

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  • 竹治貞夫「仲道斎の生涯と遺著」『徳島大學學藝紀要 人文科學』第34巻、徳島大学、1984年。 

外部リンク

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