仙田岑夫
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仙田 岑夫 せんだ みねお | |
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出生地 |
日本 愛知県扶桑村 (現:扶桑町) |
没年月日 | 2005年3月22日(70歳没) |
出身校 | 防衛大学校 |
前職 | 航空自衛官、三菱重工顧問 |
所属政党 | 無所属 |
親族 | 父・仙田明一(扶桑町長) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1963年1月28日 - 1975年1月27日 |
仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2005年〈平成17年〉3月22日)は、日本の政治家、航空自衛官。扶桑町議会議員(3期)。
来歴
[編集]愛知県扶桑村(現:扶桑町)出身。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業[1]。航空自衛隊幹部学校主任研究開発官などを経て1985年(昭和60年)3月16日から1987年(昭和62年)3月15日まで第4高射群司令(1等空佐)、その後は航空自衛隊第1術科学校副校長、三菱重工顧問などを歴任[2]。
1991年(平成3年)の扶桑町長選挙に立候補[2][3]。前収入役の澤田正夫との一騎討ちとなり、仙田陣営は中学時代の同窓生らが中心になって運動を進めたが、澤田に及ばず落選[4]。
その後、1995年(平成7年)の扶桑町議会議員選挙で初当選し、町議を3期務めた[5]。3期目任期途中の2005年(平成17年)3月22日死去[1]。