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仙台市立馬場小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙台市立馬場小学校
地図北緯38度16分14.1秒 東経140度38分38.6秒 / 北緯38.270583度 東経140.644056度 / 38.270583; 140.644056座標: 北緯38度16分14.1秒 東経140度38分38.6秒 / 北緯38.270583度 東経140.644056度 / 38.270583; 140.644056
過去の名称 長袋小学校馬場支校
長袋尋常小学校馬場分教場
秋保尋常小学校馬場分教場
秋保国民学校馬場分教場
秋保村立馬場小学校
秋保町立馬場小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 仙台市
設立年月日 1876年10月
開校記念日 5月2日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B104221040158 ウィキデータを編集
所在地 982-0244
仙台市太白区秋保町馬場字町北25
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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仙台市立馬場小学校(せんだいしりつ ばばしょうがっこう)は宮城県仙台市太白区秋保町馬場字町北にある公立小学校である。

概要

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学区は秋保地区(旧秋保町)の西部である。二口街道沿いに10キロ以上広がっており、児童の約3割は路線バスで通学している。 準僻地学校に認定されている[1]

歴史

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秋保地区で最初の小学校が置かれたのは長袋村で、1876年(明治6年)に長袋小学校として地区の全体を学区とした。しかし、あまりに広く通学に不便であったため、3年後の1879年(明治9年)に5つの支校を置いた。その一つに馬場支校があった[2]。はじめのうち、助教の小川内宣忠医師の自宅で授業を行った[3]。さらに3年後、1882年(明治12年)に支校から独立して馬場簡易小学校となった[3]。このとき、新川支校は馬場小学校の支校になった[3]1885年(明治18年)に校舎を新築した[3]

1886年(明治19年)に、馬場小学校は長袋尋常小学校に併合されてその分教場になった[3]。 長袋小学校は1889年(明治22年) に秋保小学校と改称した[4]。1907年(明治40年)頃には、教室が2つ、裁縫室と事務室が1つあった[5]1910年(明治43年)に、馬場分教場は馬場字町北の現在地に移転した[3]

1951年(昭和26年)に、馬場分校は独立して馬場小学校となり、秋保小学校から分離した[3]。野尻分校は馬場小が校に引き継がれた。この年の児童数は185人、うち野尻分校は43人であった[6]

小・中学生を対象とした学習・活動成果発表コンテストであるメディアポストでは2005年に佳作、2006年に優秀賞に入賞した。

馬場小学校は2023年時点で児童数が17人しかおらず2026年度末で閉校し、2027年4月に仙台市立秋保小学校と統合することが決まった[7]

年表

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  • 1876年(明治9年)10月 - 長袋小学校の分校として馬場支校が置かれた。
  • 1879年(明治12年) - 馬場簡易小学校として独立。長袋小学校から新川支校を引き継ぐ。
  • 1884年(明治17年) - 野尻支校を置く。
  • 1885年(明治18年) - 馬場町南に校舎を新築。
  • 1886年(明治19年) - 長袋尋常小学校馬場分教場になる。
  • 1889年(明治22年) - 秋保尋常小学校馬場分教場になる。
  • 1910年(明治43年) - 馬場字町北に移転。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 秋保国民学校馬場分教場となる。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 秋保村立秋保小学校馬場分校となる。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 秋保小学校から秋保村立馬場小学校として独立。
  • 1954年(昭和29年) - 学校給食を始める[6]
  • 1959年(昭和34年) - 新校舎完成[6]
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 町制施行により、秋保町立馬場小学校に改称。
  • 1969年(昭和44年)3月31日 - 野尻分校を廃止[6]
  • 1988年(昭和63年)3月 - 仙台市立馬場小学校に改称。

学区

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  • 秋保町長袋(字賀澤、字雁木田、字雁木田山、字久保、字黒森、字篠根澤、字宿、字舘ケ澤、字堤下、字水上北、字水上南、字向宿)、秋保町馬場(字向山を除く)

卒業後の進路

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脚注

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  1. ^ 全国へき地学校<東北ブロック>”. 全国へき地教育研究連盟. 2021年6月19日閲覧。
  2. ^ 『秋保町史』、342頁。
  3. ^ a b c d e f g 『秋保町史』、355頁。
  4. ^ 『秋保町史』、349頁。
  5. ^ 『秋保町史』、358頁。
  6. ^ a b c d 『秋保町史』、356頁。
  7. ^ 人口減少が深刻な「秋保」、通学路が危険な「愛子」<仙台市議選「語られた・語られない地名から」(下)教育環境>”. 河北新報オンライン (2023年7月27日). 2023年7月30日閲覧。

参考文献

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  • 秋保町史編纂委員会『秋保町史』本編、宮城県名取郡秋保町発行、1976年。

関連項目

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