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仙台市交通局モハ400形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙台市交通局モハ400形電車
基本情報
運用者 仙台市交通局
製造所 ナニワ工機新潟鐵工所日本車輌製造
製造年 1959年 - 1963年
製造数 15両(401 - 415)
廃車 1976年
投入先 仙台市電
主要諸元
編成 ボギー車(単車)
軌間 1,067mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 88人(着席32人)(401 - 404、410 - 415)
84人(着席28人)(405 - 410)
車両重量 12.0 t(401 - 404、410 - 415)
13.5 t(405 - 410)
全長 11,900 mm
車体長 7,626 mm
全幅 2,200 mm
全高 3,695 mm
車体 全金属製
台車 下記を参照
車輪径 下記を参照
主電動機出力 38.0 kw(401 - 404、410 - 415)
40.0 kw(405 - 410)
駆動方式 下記を参照
歯車比 4.50(401 - 404、410 - 415)
5.67(405 - 410)
出力 76.0 kw(401 - 404、410 - 415)
80.0 kw(405 - 410)
定格速度 23.8 km/h(401 - 404、410 - 415)
29.8 km/h(405 - 410)
制御方式 直接制御、直並列組合せ制御
制動装置 空気ブレーキ発電ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6]に基づく。
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仙台市交通局モハ400形電車(せんだいしこうつうきょくモハ400がたでんしゃ)は、かつて仙台市仙台市交通局)が運営していた路面電車仙台市電で使用されていた電車。仙台市電における最後の新造車両で、コストダウンを意識した設計が行われた[1][2][3][4][5]

概要

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構造

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1959年から各鉄道車両メーカーによって製造が行われたボギー車。従来の車両から軽量化や不燃性に加え、コストダウンを図った構造を有し、前照灯方向幕など各種部品には市販の自動車の部品が導入された。開発にあたっては東京都交通局都電)の8000形の構造が基となっており、車体も類似した形状であった。床下機器は走行時に舞い上がった埃からの保護や乗客の安全のため車体外板によって隠されており、製造当初は台車にもカバーが設置されていたが、保守の不便さから後年に撤去された。運転台からの速度制御には直接直並列式制御器が、集電装置にはZパンタが用いられた[1][3][4][6]

台車・駆動方式

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400形のうち、1961年製の405 - 407(新潟鐵工所製)および1962年製の408 - 410(ナニワ工機製)には、仙台市交通局の職員によって設計された独自構造の台車が用いられた。最大の特徴は、主電動機から動力が伝わる動輪と伝わらない従輪で車輪径が異なる異径台車である事で、車体の内側方面に設置された動輪の直径は690 mm、外側の従輪は510 mmだった。動力の伝達には三菱ふそう製の自動車に使われたデファレンシャルギアを流用したカルダンギアが使われ(直角カルダン駆動方式)、修理部品のコスト削減や納入の迅速化が図られた。またメンテナンスの合理化やスリップ防止のために軸受の刷動面が廃止され、ピンやゴムに置き換えられた。これらの台車は製造メーカーによって形式が異なり、新潟鐵工所製の台車は「NP103」、ナニワ工機製の台車は「NK71」と呼ばれた[1][3][4]

一方、それ以外の車両については従来型の同径台車が用いられ、駆動方式も吊り掛け駆動方式であった。この差異は納期や製造費用との兼ね合いの結果とされている。これらの車両も含め、400形に採用された台車や駆動方式は以下の通りである[1][2][3][4]

車両番号 401-404 405-407 408-410 411-415
製造年 1959 1961 1962 1963
製造企業 ナニワ工機 新潟鐵工所 ナニワ工機 日本車輌製造
台車 形式 NK22 NP103 NK71 N-107
種類 同径台車 異径台車 同径台車
車輪径 660mm 690mm(動輪)
510mm(従輪)
660mm
駆動方式 吊り掛け 直角カルダン 吊り掛け

運用・保存

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前項の表の通り、モハ400形は1959年から1963年にかけて15両(401 - 415)が製造された。そのうち415は仙台市電最後の新造車両となり、以降の車両増備は廃止された各都市の路面電車路線からの譲渡によって行われた。また、最終増備車となった411 - 415は前面窓上のマーカーライトが設置されていない[1][4][7]

1967年ワンマン運転への対応工事を経て1976年の仙台市電廃止まで使用され、以降は408と415が長町車庫で保管されたが、そのうち2020年時点で現存するのは仙台市電保存館で静態保存されている415である。また、同保存館には解体された410に使用されていたNK71形台車も保存されており、独特の構造を見学することが出来る[7][6]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f 宮松丈夫 2007, p. 36-37.
  2. ^ a b c 宮松丈夫 2007, p. 46-47.
  3. ^ a b c d e 亀谷英輝 1966, p. 35.
  4. ^ a b c d e f 柏木璋一 1976, p. 81.
  5. ^ a b 朝日新聞社「日本の路面電車諸元表(旅客車のみ)」『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、170-171頁。doi:10.11501/2456138 
  6. ^ a b c 仙台市電保存館”. 仙台市交通局. 2020年6月16日閲覧。
  7. ^ a b 柏木璋一 1976, p. 82.

参考資料

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  • 宮松丈夫『仙台市電』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 90〉、2007年2月1日。ISBN 978-4-7770-5193-9 
  • 亀谷英輝「仙台市電の現況と当面の課題」『鉄道ファン』第6巻第5号、交友社、1966年5月1日、32-35頁。 
  • 柏木璋一「仙台市電ものがたり」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、78-82頁。 
  • 宮松丈夫「仙台市電思い出アルバム」『鉄道ファン』第16巻第7号、交友社、1976年7月1日、83-86頁。