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今見昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今見 昇(いまみ のぼる、1887年2月[1] - 没年不詳)は、日本林業技術者、実業家

経歴・人物

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士族前田実穂の二男として福岡県に生まれ、1897年今見義勇の養子となる[1]。1907年福岡県立中学修猷館[2]を経て、1916年東北帝国大学農科大学林学科を卒業[1]

1916年朝鮮総督府営林廠技手となるが[1]フィリピンのマニラ麻会社の支配人に迎えられる。ここで、後に南洋興発を設立する松江春次が南洋視察に訪れ、今見が南洋諸島を案内したことで親交を深めた[3]。その後、このマニラ麻会社が倒産したため、南洋庁産業試験場技師を経て、1930年樺太庁技師となり、農林部林業課長を務めた[1]

1937年7月退官し、松江に迎えられ南洋興発技師となり[3]、1941年12月取締役に就任。終戦後、南洋興発がGHQにより閉鎖される1945年9月まで務めた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録第12版』(人事興信所、1939年)イ-295頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員6頁
  3. ^ a b 井咲寒波「今見昇論」樺太第9巻第8号(樺太社、1937年)94-95頁
  4. ^ 高木茂樹「研究ノート 南洋興発の財政状況と松江春次の南進論」『アジア経済』第49巻第11号、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2008年11月、34頁、CRID 1390853651003783680doi:10.20561/00040880hdl:2344/00007214ISSN 0002-2942