今沢慈海
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今沢 慈海(いまざわ じかい、1883年3月24日[1] - 1968年12月31日[1])は、明治-昭和期の僧侶・図書館学者。幼名は市次郎[1]。別号は天瑞・南岳。愛媛県西条町(現在の西条市)出身[1]。
略歴
[編集]熱心な仏教徒だった母の意向で、西条市にある臨済宗の名刹保国寺の養子となり[1]、同寺を継ぐべく育てられる。西条中学校(現 愛媛県立西条高等学校)卒業後[1]、第五高等学校を経て[1]、1907年に東京帝国大学哲学科倫理学科を卒業。1908年7月同大学大学院修了[1]。
1913年東京市立日比谷図書館の職員となり[1]、1914年には31歳で館長に抜擢され[1]、日本図書館協会副会長に就任する[1]。また、1921年から20年にわたって図書館員教習所講師を務めた[1]。この間、日本図書館協会会長を務め[1]、1923年には同協会専務理事となる[1]。1929年以後は東京市における市立図書館の総責任者となった。
1934年、成田山新勝寺貫主荒木照定の懇願を受けて、成田中学校校長に就任[1]。1940年に校長職を辞し、1948年から成田山教育・文化・福祉財団理事長兼成田図書館館長を務めた[1]。
首都東京の図書館長として公共図書館の普及に尽力するとともに、図書館学や仏教研究にもあたり、『梵文典』や『図書館経営の理論及実際』などの著書を著している。
著作リスト
[編集]- 『図書館経営の理論及実際』(叢文閣、1926年)
- 『不動尊の霊験』(不動全集刊行会、1941年)
- 『了翁禅師小伝』(日本図書館協会、1964年)
編書
[編集]- 『児童読物 大正10年5月迄』(三省堂、1921年)
- 『若水 - 東皐句集』(荒木照定、成田山文化財団、1954年)
- 『梵文典 - 表解詳説』(成田山新勝寺、1958年)
- 『成田図書館周甲記録』(成田図書館、1961年)
共著
[編集]訳書
[編集]- 『図書館建築』(シー・ハッドレイ著、1928年)
共訳
[編集]- 『小図書館管理法』(ミニー・クラーク・バドロング著、神絢一との共訳、間宮商店、1926年)
追悼集
[編集]- 『今沢慈海先生追悼録』(成田山教育文化福祉財団、1969年)
出典
[編集]参考文献
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 守屋恒三郎 主幹 |
東京市立日比谷図書館頭 1915年 - 1931年 館長 1914年 - 1915年 |
次代 広谷宣布 館長 |
その他の役職 | ||
先代 荒木照定 |
成田図書館長 1948年 - 1968年 |
次代 神崎照恵 |
先代 増田栄 |
成田中学校長 1934年 - 1940年 |
次代 横田泰邦 |
先代 太田為三郎 会長 |
日本図書館協会専務理事 1923年 - 1926年 |
次代 姉崎正治 |
先代 坪谷善四郎 |
日本図書館協会会長 1920年 - 1922年 |
次代 太田為三郎 |