コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

今村明光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今村 明光
人物情報
生誕 (1883-02-19) 1883年2月19日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 1950年4月7日(1950-04-07)(67歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 医学(内科学)
研究機関 東京帝国大学東京女子医学専門学校
学位 医学博士
テンプレートを表示

今村 明光(いまむら あきみつ[1]1883年明治16年)2月19日[2] - 1950年昭和25年〉4月7日[3])は、日本の医学者内科学者。旧制東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)教授。

生涯

[編集]

1883年、鹿児島県士族今村明清の六男として生まれた[2][4][5]中学造士館を経て、1904年7月に第七高等学校造士館を卒業(第三部医科志望、第1回卒業生)[6]東京帝国大学医科大学へ入学し、1909年に卒業[2][4][5]、同大学の助手、講師[2]

卒業後は東京帝国大学助教授[2][4]となった。山梨県病院(現・山梨県立中央病院)長[2][4][5]を務めた。1921年[2]医学博士号を取得[2][4][5][7]

1929年[2]東京女子医学専門学校教授に就任[2][4][8]。東京女子医学専門学校病院の内科部長[7]や病院長[6]をつとめたた。学界では、日本伝染病学会の評議員を務めた[8]

家族・親族

[編集]

著作

[編集]
  • 『昏睡状態ノ診断及療法』(1911年
  • 糖尿病及其療法』(1912年
  • 『バンク式臨床血液糖測定法「グリコゲーン」定量法ニ就テ』(1924年

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 国立国会図書館典拠データ「今村明光」 2020年6月13日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『帝国大学出身人名辞典 第4巻』(日本図書センター、2003年)80-81頁
  3. ^ 『吉岡弥生』236頁。
  4. ^ a b c d e f g 『帝国大学出身人名辞典 第1巻』(日本図書センター、2003年)232頁(イ(ヰ) 一四四)
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第8版』(人事興信所、1928年)「今村明光」
  6. ^ a b 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々 改訂版』(2001年)
  7. ^ a b 『東京女医学会雑誌 第4巻第2号』(東京女医学会、1934年)119頁
  8. ^ a b c 南日本新聞社 編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年、344頁。