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今出川院近衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今出川院近衛(いまでがわいんのこのえ、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の女流歌人今出河院近衛とも表記される。

藤原北家師実大炊御門家庶流の鷹司家[1]の出身で、父は大納言鷹司(藤原)伊平。陰明門院大炊御門麗子土御門天皇中宮)は大叔母にあたる。今出川院西園寺嬉子亀山天皇中宮)に仕える。

続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に26首入集。『和漢兼作集』には和歌だけでなく漢詩をも載せる。『徒然草』67段に以下のような記述があり、彼女が当時の歌壇において名声を得ていたことがわかる。

今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉れありて、人の口にある歌多し。作文・詞序など、いみじく書く人なり。

(今出川院近衛という名の歌人は、多くの歌集に歌を選ばれた女性であるが、若い頃から常に百首の歌を詠むような才媛で、岩本神社と橋本神社[2]の前の水で墨をすって歌を書いて、神社に奉納していた。これらの神社の本当に素晴らしいご利益があって、人の口にのぼるような良い歌を多く詠んだという。彼女は漢文や漢詩の序文なども上手に書く優れた人であった)

  • 我が涙かかれとてしも黒髪のながくや人にみだれそめにし(新千載和歌集1215)
  • 恨みてもなほ慕ふかな恋しさのつらさに負くるならひなければ(新拾遺和歌集1355)

脚注

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  1. ^ 五摂家の一つ鷹司家とは別家。
  2. ^ ともに上賀茂神社の末社。岩本社の祭神は在原業平。橋本社の祭神は藤原実方

参考文献

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  • 西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫、1985年。
  • 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典』 新人物往来社、1990年。
  • 芳賀登他監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1993年。