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今出川定子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今出川 定子(いまでがわ さだこ、1739年元文4年) - 1773年安永2年))は、江戸時代中期の女性。紀州藩第8代藩主・徳川治貞正室。父は今出川誠季。兄は今出川公言。別名は千穂君定子。院号は寛耀院

生涯

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今出川誠季の娘として生まれる。1755年宝暦5年)に紀州藩第8代藩主・徳川治貞の正室となるが、治貞との間に子供は出来なかった[1]。兄の公言の娘に、紀州藩御連枝の伊予国西条藩主松平頼謙の正室がいる。

1773年安永2年)、死去[2]

脚注

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  1. ^ 9代 治貞”. 長保寺. 2023年3月13日閲覧。
  2. ^ 本多氏(伊勢神戸藩)”. 世界帝王辞典. 2023年3月13日閲覧。