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今出川公規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
今出川公規
時代 江戸時代前期
生誕 寛永15年1月12日1638年2月25日
死没 元禄10年10月26日1697年12月8日[1]
別名 号:一林院
官位 従一位右大臣
主君 後光明天皇後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族 徳大寺家今出川家
父母 父:徳大寺公信
母:夏姫(毛利秀就の養女)[2][3]
養父:今出川経季
兄弟 徳大寺実維、公規
京極宮子(京極高和の娘)
伊季季姫、益姫
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今出川 公規(いまでがわ きんのり)は、江戸時代前期の公卿左大臣徳大寺公信の次男。右大臣今出川経季の養子。官位従一位・右大臣。

経歴

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正保2年(1645年)に叙爵。以降清華家当主として早い速度で昇進し、侍従左近衛少将左近衛中将を経て、万治2年(1659年)に従三位となり、公卿に列する。権中納言を経て、寛文4年(1664年)に権大納言延宝6年(1678年)には右近衛大将に補され、さらにその翌年には右馬寮御監を兼務。天和3年(1683年)からその翌年にかけては内大臣の地位にあった。

元禄5年(1692年)からその翌年にかけては右大臣を務める。元禄7年(1694年)に従一位に進む。

系譜

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脚注

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  1. ^ 今出川公規』 - コトバンク
  2. ^ 菊亭家譜
  3. ^ 徳大寺家譜