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今井喜八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今井 喜八(いまい きはち、1857年5月21日(安政4年4月28日[1][2][3][4])- 1928年昭和3年)5月11日[5])は、明治から大正期の実業家政治家衆議院議員。旧姓・藤田、幼名・長之助[2]

経歴

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武蔵国江戸、のちの東京府東京市[6] 浅草区馬道町1丁目[3](現東京都台東区雷門)で、藤田久兵衛の二男として生まれる[2][4]。1874年(明治7年)8月、馬道の質商・伊勢屋[3]、先代今井喜八の養嗣子となり[3][4]、1885年(明治18年)2月、家督を相続した[2]

質商を営み、中央製糖(のち大日本製糖)取締役、台湾拓殖取締役、内国通運社長などを務めた[2][3][4][5][6][7]。また、浅草銀行を設立して頭取に就任し、その後、豊国銀行と合同して同行取締役となった[7][8]

政界では、浅草区会議員、同区会議長、東京市会議員、同参事会員、市区改正委員、市学務委員などを務めた[3][4][5][6][7][8]立憲同志会からの強い要請を受けて[3]、豊国銀行取締役を辞して[3][7]1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に東京府東京市から出馬して当選し[3][9]、その後憲政会に所属し衆議院議員に1期在任した[5][6]。この間、衆議院決算委員などを務めた[3]

著作

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  • 松谷元三郎との共著『日本人の大多数を支配する親鸞教徒の理想』松谷元三郎・今井喜八、1918年。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、1頁。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い109頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『現代日本の政治家』同志会1-3頁。
  4. ^ a b c d e 『東京社會辭彙』イ22頁。
  5. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』76頁。
  6. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』56頁。
  7. ^ a b c d 『事業及人物』262-265頁。
  8. ^ a b 『財界名士失敗談 下巻』244-247頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』57頁。

参考文献

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  • 朝比奈知泉 (碌堂) 編『財界名士失敗談 下巻』毎夕新聞社、1909年。
  • 『東京社會辭彙』毎日通信社、1913年。
  • 遠間平一郎『事業及人物』中央評論社、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。