出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仇世婦(きゅうせいふ、生没年不詳)は、冉魏の皇帝冉閔の世婦(中国語版)(側室)。
馮翊郡重泉県の人。仇嵩の長女として生まれた。容色が優れており、はじめ冉閔の後宮に入って、世婦となった。
冉魏の永興3年(352年)、冉閔が前燕の慕容儁に敗れると、捕虜となった。仇氏は部将の慕容勝(後の豆盧勝)に妻として下賜され、のちに盧魯元を生んだ。
従兄弟の仇洛斉(仇嵩の妹の子)は北魏の宦官になった。弟の仇広の孫娘(仇牛の娘)は北魏の南安王拓跋楨の妻で章武王元彬の母。
- 『魏書』巻94 列伝第82
- 『北史』巻92 列伝第80