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仁多見史隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仁多見 史隆
個人情報
生誕名仁多見 史隆
国籍日本
生誕1974年12月27日[1]
新潟県新潟市[2]
身長173 cm (5 ft 8 in)[1]
体重65 kg (143 lb)[1]
スポーツ
競技男子 ボクシング
階級 ライトウェルター級[1]
所属 東京農業大学[1]
獲得メダル
キングスカップ
1996 ライトウェルター級

仁多見 史隆(にたみ ふみたか、1974年12月27日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。新潟県新潟市出身。1996年アトランタオリンピックライトウェルター級日本代表。右ボクサータイプ。身長173cm。興農館高等学校[* 1]東京農業大学卒業。弟・暢尚(のぶひさ)もアマチュアボクシング経験者[3]

来歴

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1992年、インターハイ[文献 1]全国高校選抜[文献 2]べにばな国体少年の部[文献 3]のいずれもライトウェルター級で優勝を収めた。親からは農業の道を進むよう促されたため、プロは断念せざるを得なかった。

大学時代の1993年から1996年にかけて、副島保彦(1978年 - 1981年)に続き、4年間で1部リーグ戦全試合出場・全試合勝利を達成した[* 2]。この間1994年にはわかしゃち国体成年の部ライトウェルター級で優勝を収め[文献 3]、1994年・1995年・1996年の3年間は全日本選手権(3大会連続)[文献 4]ふくしま国体ひろしま国体成年の部[文献 3]のいずれもライトウェルター級で優勝を収めた。その間石田順裕や金山俊治(後のクレイジー・キム)にも勝利している。

4年在学中の1996年、第3次アジア予選(キングスカップ)ライトウェルター級で優勝を収めて[1]アトランタオリンピックに同級の日本代表として出場し、1回戦に6-21のポイント負けとなった[4]。大学卒業後は財団法人新潟市開発公社に勤務し、1997年のなみはや国体成年の部ウェルター級で優勝を収めた[文献 3]。通算戦績は151戦141勝10敗[2]

1999年から新潟県の国体少年男子監督。2012年現在、新潟県ボクシング連盟副理事長、日本オリンピック委員会 (JOC) 強化スタッフを務める[2]

2014年から開志学園高等学校ボクシング部初代監督に就任。2017年ミドル級で近藤陸が全国高校選抜大会、インターハイ、国体で優勝し創部後初の全国大会優勝者を輩出[5]

2018年から野村孝志教諭が同部顧問に就任し2人指導体制となり、2021年にウエルター級で増田祐士、2022年にライトウエルター級で六井和、ウエルター級で川村萌斗、2023年にウエルター級で川村萌斗、2024年にウエルター級で増田龍杜の全国大会優勝者を輩出。

2024年4月からは小林将也教諭が同部助監督に就任し同校は3人指導体制となる。

獲得タイトル

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  • 第46回インターハイライトウェルター級優勝
  • 第3回全国高校選抜ライトウェルター級優勝
  • 第47回国体少年の部ライトウェルター級優勝
  • 第64回全日本選手権ライトウェルター級優勝
  • 第49回国体成年の部ライトウェルター級優勝
  • 第50回国体成年の部ライトウェルター級優勝
  • 第65回全日本選手権ライトウェルター級優勝
  • 第51回国体成年の部ライトウェルター級優勝
  • アジア選手権(メイヤーズカップ)銅メダル
  • アジア選手権(キングスカップ)金メダル
  • 第66回全日本選手権ライトウェルター級優勝
  • 第52回国体成年の部ウェルター級優勝

脚注

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注釈

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  1. ^ 2002年、廃校となった。
  2. ^ 2006年、同じ東京農業大学の大平直樹が同記録を達成、史上3人目となった。

出典

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参考文献

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「アマチュア・レコード」『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6

  1. ^ 204頁。
  2. ^ 207頁。
  3. ^ a b c d 206頁。
  4. ^ 202頁。

関連項目

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